株仲間の結成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 09:19 UTC 版)
享保8年(1723年)に浅草蔵前の札差109人が、南町奉行の大岡越前守御番所に株仲間結成を願い出て吟味を受け、さらに翌享保9年(1724年)5月、ほぼ認可の見通しを得て、さらに5ヶ条からなる願書を109人の連署をもって提出した。その願書から約2ヶ月後に札差株仲間は公許された。これ以後、株仲間による独占営業となり、それ以外の者が新規に札差となることはできなくなった。 ここに成立した109名の札差株仲間は、主として茅町・瓦町・福井町・旅籠町・天王町・蔵前片町・森田町・大護院門前・猿屋町に店があった。これらを御蔵前片町組・森田町組・天王町組の三組に分け「札差三組」と呼び、それぞれ31名・47名・31名が属した。各組から月番で行事(行司とも書く)5名ずつが出て、毎月の扶持米、春夏冬の三季に支給される俸禄米、幕府の財政上の支出米などについて、蔵前米相場を調べて店の前に張り出して公示することが義務づけられた。 株仲間起立当時の札差は、後年営業権である株を譲渡(売却)して廃業したり、欠落(かけおち)や処罰により株式を幕府に召上げられたりした者もある(この株を上り株という)。一方、屋号・名前をそのまま長く継続した札差は、仲間内で起立人(きりゅうにん)として最も重んぜられた家柄となった。
※この「株仲間の結成」の解説は、「札差」の解説の一部です。
「株仲間の結成」を含む「札差」の記事については、「札差」の概要を参照ください。
- 株仲間の結成のページへのリンク