創業と醤油屋仲間への加入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 00:54 UTC 版)
「柴沼醤油醸造」の記事における「創業と醤油屋仲間への加入」の解説
元禄元年(1688年)、初代・柴沼正左衛門が創業。現在の茨城県域ではダイズやコムギの生産が盛んで、江戸とは利根川水系を利用した水運で結ばれていたことから、醤油醸造業に適した条件がそろっていた。土浦には大黒屋勘兵衛や色川三郎兵衛などの醸造業者があり、これらは「江戸蔵」と呼ばれ専ら江戸に出荷していたが、柴沼醤油は創業当時から地元消費用として生産していたため、「地元蔵」と呼ばれた。元禄年間(1688年 - 1703年)は庶民が醤油を使い始めるようになった頃であり、自給を兼ねて利潤の高い醤油の生産が各地の町村で行われるようになった。柴沼家は藩主・土屋家の手印醤油の醸造を行っていた。 宝暦11年2月3日(グレゴリオ暦:1761年3月9日)、土浦の醤油醸造業者9名によって「醤油屋仲間」が結成された。結成の背景には、時の老中・田沼意次が株仲間の結成を奨励したことや同業者増加による競争過多もあるが、直接の契機となったのは、江戸へ船で醤油を出荷する際に、不正を働いた者がおり、土浦のブランドに傷が付く事件が発生したためである。柴沼醤油の柴沼庄左衛門は当初この仲間に加わっていなかったが、天明6年(1786年)より仲間に加入し、色川家と同格として扱われた。 幕末になると醤油業者は次々と廃業に追い込まれていくが、柴沼醤油は江戸の割烹・料亭への卸売という新しい販路を開拓して生き残った。
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