校内の不審者対策
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「京都小学生殺害事件」の記事における「校内の不審者対策」の解説
校庭に侵入した不審者による本事件は、翌2000年(平成12年)1月に和歌山県の中学校でも不審者による傷害事件が起きたこともあり、校内の安全管理の議論にも影響を与えた。 本事件を受けて文部省は2000年(平成12年)1月、各都道府県教委及び附属学校を置く国立大学に、学校の安全管理及び児童・生徒の安全確保について通知し、点検項目を示して実施の徹底を呼び掛けた。この通知では、日常的に出入口などの施錠や来訪者用受付を設け外部からの出入りを確認すること、警察や近隣の学校と不審者に関する情報交換を行うこと、不審者情報があった際には警察や保護者、地域などにパトロールを要請、不審者が侵入した場合には注意喚起と避難誘導、通報などを迅速に行うことを求めていた。しかし前述の通り、2001年(平成13年)6月8日には大阪府池田市で附属池田小事件が発生。通知を出した直後に、前述の和歌山での傷害事件が発生したにも拘らず、通知の見直しや各校の安全状況の把握を行わなかった点で文部科学省の責任が問われ、総額4億円の遺族への損害賠償に応じることとなった。 また、「開かれた学校」づくりは1987年(昭和62年)の臨時教育審議会の答申以来、全国的な教育改革の柱の一つであり、京都市教育委員会でも、小中学校の塀を生け垣や樹木に変える、空き教室を地域の生涯学習の場として活用するといった取り組みを行っていたが、対応への再検討を迫られることとなった。事件直後の厳戒態勢の中では日野小は校門を閉鎖し、隣の宇治市でも御蔵山小や木幡小が全ての校門を閉鎖して警戒を強めていた。一方、日野小の隣の春日野小では検討の末、「余りにもふだんと違う雰囲気では逆に子供に動揺を与える」として、従来通り正門を開放するなど、それぞれで対応が分れた。 筑波大学の山口満教授(教育学)は、確かに学校は性善説に基づき深い配慮を欠いていたとしながらも、「学校開放には、地域と連携して子どもを育てる意味もある」とし、「学校評議員制度などは安全に役立つ要素もあり、導入を一層進めるべきだ」と述べた。一方で早稲田大学の下村哲夫教授(教育学)は、教育改革のキーワード「開く」により学校は門を開かねばという心理的圧迫を受けているとし、「安全確保をなおざりにした物理的な開放は危険だ」と述べている。 事件から5年目となる2005年(平成17年)6月21日には、日野小では地域の有志約90人による「子ども見守り隊」が発足。発足式には自治連合会、婦人会会員、PTAのOBらが集まり、自分の都合のよいときに通学路や校内で児童の安全を見守る活動を行っていくとされた。 2006年(平成18年)2月の時点では、日野小は正門を開放している。校長(事件当時とは別人物)は「門を閉ざしても不審者の侵入を100%防ぐことはできない。1人でも多くの人間で見守る発想が重要。(正門開放は)『保護者や地域も意識的に目を配って』というアピールでもある」と述べている。
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