架橋から落橋まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 08:03 UTC 版)
「タコマナローズ橋」の記事における「架橋から落橋まで」の解説
落橋 落橋の様子 この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 1920年代から架橋計画は取り沙汰されていたものの、建設が決定されたのは1937年であった。設計は紆余曲折ののちモイセイフに委嘱され、1938年に着工された。支柱建設にやや苦心はあったものの、工事はほぼスケジュールどおりに進み1940年7月1日に開通した。 当初、余裕を取って幅広に設計されるはずであったが、コストの制約から自動車の対面通行に一応支障ない程度の比較的狭い幅員で建設された。モイセイフはコストと構造合理化の両面を考慮し、橋本体について、橋桁の寸法をごく薄くした野心的な軽量設計を採用した。当時最新の架橋理論によれば、これでも必要な強度は確保でき、強風にも耐えられると判断されていたが、専門家の一部にはこれを不安視する声もあった。 果たして建設中から、タコマナローズ橋は風のある日に大きく揺れ、たわみ、ねじれることを露呈した。橋桁は上下方向に揺れ、路面はあるところでは高くなり、あるところは低くなるのが、橋上にいてもはっきりわかるほどで、工事関係者を気味悪がらせた。このため開通を1ヵ月後に控えた6月1日と2日には、橋の中央部でメインケーブルと桁をV字型に結ぶステーと、塔と桁を結ぶダンパーが設置された。 開通後も少々の風でひどい揺れを生じたため、さらに10月4日から7日にかけて側径間から地上へケーブルが張られた。しかしそれでも根本的な揺れは収まらなかった。 竣工後も派手に揺れ続け、振幅が1メートルを超えることもあった。 この橋はウィンザー・マッケイのアニメーション『恐竜ガーティ』からガーティの愛称があり、早くからロデオ競技になぞらえて"Galloping Gertie"(馬乗りガーティ)というあだ名が付くほどだった。橋を自動車で渡るドライバーが、走行中の異様な振動で「橋酔い」することすらあり、新しい橋に危惧を抱く者は、遠回りを承知で湾奥経由の移動を選んだ。 1940年11月7日、早朝から風による振動が続いていたが、風速が設計耐風速を大幅に下回る19 m/sに達した途端、それまでの上下方向の振動から大きくねじれる揺れに変わった。このような揺れが1時間ほど続いた後、主径間の4分の1点で桁が座屈し、橋床が落下した。この直後に最終的な崩壊が始まり、結果として主径間では橋桁がケーブルからちぎれて崩落した。このため塔は側径間側に傾き、側径間は10メートルあまり下方にたわんだ。 なお、落橋直前は明らかな危険状態であったことからいち早く両岸で通行規制が敷かれ、崩壊直前には橋の上の状況観察に徒歩で赴いた技術者・研究者らも陸上へ避難していた。従って落橋の瞬間には橋梁上は無人で、人間の死亡者は生じなかったものの、橋の上に停められた車にとり残されていたアメリカン・コッカー・スパニエル犬1匹が死んだ。
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