東浦自動車の設立と事業統合とは? わかりやすく解説

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東浦自動車の設立と事業統合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 05:46 UTC 版)

西武バス」の記事における「東浦自動車の設立と事業統合」の解説

西武バス母体は、1932年12月19日埼玉県浦和町1934年市制施行して浦和市、現・さいたま市)に設立され東浦自動車株式会社である。1941年12月より東浦自動車は、現在の西武池袋線系統前身である武蔵野鉄道傘下入っていたが、戦中までは社名通り浦和東部中心に鳩ヶ谷から川越途中東大久保(現・富士見市)から所沢まで路線有していた会社であった。 それに遡り1920年代前半には東京多摩地域で、東京府北多摩郡田無町戦後1967年市制施行して田無市現・西東京市)に田無自動車商会設立武蔵境 - 田無間で乗合バス運行している。この会社西武新宿線系統前身である旧・西武鉄道買収され滝山営業所の起源となった詳細西武バス滝山営業所#沿革参照)。また1920年代後半には、飯能青梅地区でも青梅自動車および秩父自動車設立され乗合バス運行開始しているが、これらの会社戦時統合により武蔵野鉄道統合され飯能営業所起源となっている(詳細西武バス飯能営業所#沿革参照)。 現在の西武バスが、埼玉県南西部から東京北西部広範囲路線網有するのは、終戦後成立した西武農業鉄道直営バス部門東浦自動車譲受したことによるのである西武農業鉄道は、現在の西武鉄道1946年11月改称)であるが、これは1945年9月武蔵野鉄道が旧・西武鉄道合併して成立した会社である。 武蔵野鉄道は、昭和初期より青梅飯能周辺においてバス開業し終戦時までに現在の西武池袋線沿線中心とする地域広大な路線網形成していた。この中には、1940年合併した多摩湖鉄道より継承した路線秩父自動車合併により継承した秩父地区路線含まれる多摩湖鉄道は、小平国分寺東村山周辺バス営業開始したのち、親会社箱根土地コクド経て現・プリンスホテル)のもとで周辺バス事業者積極的な買収行い青梅岩蔵温泉八王子・川越などにも路線広げていた。合併時において、その営業成績は大変良好であったといわれる。 旧・西武鉄道は、1936年昭和11年)、所沢 - 立川間に路線開通した際に設置した所沢派出所」は所沢営業所の、「立川派出所」は立川営業所の、それぞれ起源となっている。旧・西武鉄道は、東京では鉄道西武村山線(現・新宿線)に並行する関(現・練馬区以西青梅街道上や、西武川越線現・国分寺線)に並行する国分寺 - 東村山間を昭和初期開業し立川田無・武境など周辺地域路線拡張していった。また、埼玉県内でも大宮・川越・仏子所沢などに路線有していた。 これら前身事業者によって形づくられた西武農業鉄道バス譲受するのに先駆けて東浦自動車1946年3月増資の上武蔵野自動車株会社商号変更し、同年6月にこれを譲受した。そして翌1947年2月本社所沢移転し同年11月西武自動車株式会社初代)社名改め新たなスタート切った

※この「東浦自動車の設立と事業統合」の解説は、「西武バス」の解説の一部です。
「東浦自動車の設立と事業統合」を含む「西武バス」の記事については、「西武バス」の概要を参照ください。

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