東横・目蒲の合併 - 大東急へ
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「東急バス」の記事における「東横・目蒲の合併 - 大東急へ」の解説
1939年(昭和14年)10月1日、目黒蒲田電鉄は東京横浜電鉄を合併し、同月16日、東京横浜電鉄に商号変更した。これにより、現在の東急バスにつながる路線の経営が一元化されたわけであるが、この時点では山手線内や芝浦地区のほか、中野・練馬方面にも路線を有していた。 その後、戦時下に公布された陸上交通事業調整法により、旧東京市内のバス路線に対する調整が命じられ、 1942年(昭和17年)2月1日、一部路線を東京市電気局(現・東京都交通局)に譲渡した。このとき対象となった路線は、右図の通りである。 「都営バス#戦前(昭和10年代)」も参照 戦時の統制下では、一方で東京横浜電鉄による周辺事業者の統合も進み、同年5月1日、京浜電気鉄道・小田急電鉄を合併して、社名を東京急行電鉄に変更した。また同日には城南乗合自動車の路線を吸収した。これにより、3社のバス事業を継承したほか、京浜電鉄が保有していた川崎鶴見臨港バスの株式も引き継いだ。同年12月には、東京市蒲田区(現・大田区)を拠点に営業していた旧・京浜電鉄系の梅森蒲田自動車も吸収合併した。 詳細は「大東急#概要」および「京浜急行バス大森営業所#梅森自動車と森ヶ崎」を参照 その後、1944年(昭和19年)には京王電気軌道を合併し、中仙道乗合と鳩ヶ谷自動車が東都乗合に合流。神奈川県中西部では藤沢自動車、伊勢原自動車が相次いで東急傘下に入り、最終的に東海道乗合を存続会社として合併、神奈川中央乗合自動車(現・神奈川中央交通)となった。また、同年には東急が府中乗合自動車商会を買収して路線を吸収した。神奈川県西部でも、富士箱根自動車と足柄自動車が箱根登山鉄道に合併の上、東急の傘下に入って五島が社長を兼務することになった。 静岡県でも、新・東横電鉄の傘下に入っていた静岡電気鉄道を中心に県中部の事業者が取りまとめられた。これにより、東急本体、関東乗合、東都乗合、神奈川中央乗合、箱根登山鉄道、静岡鉄道の6社で東京都、神奈川県、埼玉県、そして遠く静岡県にまでおよぶ巨大バス事業者グループが完成した。 詳細は「神奈川中央交通#戦時統合へ」および「国際興業バス鳩ヶ谷営業所#鳩ヶ谷自動車から鳩ヶ谷営業所へ」を参照 「箱根登山バス#競合の末の合併から戦時統合まで」および「しずてつジャストライン#自主統合から戦時統合へ」も参照 しかし、この頃にはすでに物資不足のため、路線休止や代燃車での運行を余儀なくされる状態であった。
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