東北地方整備局の中止事業
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「国土交通省直轄ダム」の記事における「東北地方整備局の中止事業」の解説
東北地方整備局管内における中止したダム事業は、旧建設省時代を含めると6事業がある。大別すると特定地域総合開発計画において計画され、諸事情で立ち消えになったダムと、1990年代以降の公共事業見直しの中で中止されたダムという二つの要因がある。 前者の例では、阿仁田沢特定地域総合開発計画における雄物川河川総合開発計画の中心事業として、鎧畑ダム、皆瀬ダムと共に「雄物川四大ダム」として計画された肴沢ダム(成瀬川)と川井ダム(役内川)がある。肴沢ダムは現在の秋田県雄勝郡東成瀬村肴沢、国道342号肴沢橋付近に建設が予定されていたが諸元は不明。川井ダムは現在の秋田県湯沢市川井、国道108号新川井橋付近に建設が予定されており、完成すれば鎧畑ダムとほぼ同等の規模を有するダムであった。しかし両ダム共1960年代には計画が自然消滅し、その後の雄物川水系における直轄事業としてのダムは玉川ダムと、肴沢ダム地点よりも上流の成瀬ダムが新たに加わった。役内川にはダムは計画されていない。後者の例としては天然湖沼開発の小川原湖総合開発事業がある。同事業は小川原湖より流出する高瀬川と高瀬川放水路に河口堰を建設して小川原湖をダム化し、淡水化することで治水と灌漑、むつ小川原開発地域への上水道と工業用水道供給を目的としていたが、水需要の低下などにより中止された。 一方、鳴瀬川水系の総合開発は様々な計画が立てられ、時代の変遷と共に計画内容も変化。その中で複数のダム事業が計画され、また消えていった。北上特定地域総合開発計画の一環として鳴瀬川本流上流部に計画されていた内野ダムは、筒砂子川との合流点直下流に建設が予定されていた。しかし内野ダムは計画が立ち消えになり、暫くはダム計画も行われなかった。その後旧内野ダム予定地より上流に治水ダムを建設する計画が宮城県により立てられ、計画は治水目的に留まらず灌漑、上水道、工業用水道の供給、さらに水力発電目的も加わり国庫の補助を受けて建設される補助多目的ダムとして事業は拡充され1980年に完成した。これが漆沢ダムであり、結果的に内野ダムの目的を引き継ぎかつ強化した形となっている。 漆沢ダム完成後も水害や水需要の拡大が続き、建設省は支流である田川に田川第一ダムと田川第二ダムを建設して田川・鳴瀬川の治水と鳴瀬川流域農地への灌漑用水供給、および上水道・工業用水道供給を図る目的で鳴瀬川総合開発事業を1992年(平成4年)より着手した。しかしその後の水需要の変化などで事業が縮小されて田川第二ダムは中止、第一ダムは田川ダムと名称を変更しさらに工業用水道供給目的を廃止。隣接する二ッ石川流域よりバイパストンネルによる洪水導水路を田川ダムに連結して、田川・二ッ石川および鳴瀬川下流域の治水と灌漑・上水道供給目的を以って計画された。しかしダム事業再検証対象となり多くの代替案を検討したところ、同時期に宮城県が補助多目的ダムとして計画しやはり再検証対象となっていた筒砂子ダム計画を大幅に拡張して田川ダムを統合し、合わせて漆沢ダムを治水ダムとして洪水調節目的に特化した方が費用対効果で最適であるという結論に達した。これに伴い田川ダム事業と宮城県補助事業としての筒砂子ダム事業は中止され、直轄事業としての鳴瀬川ダム事業・漆沢ダム再開発事業を両軸とした鳴瀬川総合開発事業として事業自体は継続になった。 所在水系河川ダム型式高さ総貯水容量分類水特法備考出典青森 高瀬川 小川原湖 小川原湖総合開発 堰 2.9 153,800 宮城 鳴瀬川 鳴瀬川 内野ダム ロックフィル 65.0 20,000 漆沢ダムの前身 宮城 鳴瀬川 田川 田川ダム ロックフィル 85.0 14,500 特定 旧名田川第一ダム 宮城 鳴瀬川 田川 田川第二ダム 重力 43.0 2,850 特定 秋田 雄物川 役内川 川井ダム 重力 52.0 43,000 秋田 雄物川 成瀬川 肴沢ダム - - -
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