村立移管と太平洋戦争(1941-1945)
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「飯田市立上郷図書館」の記事における「村立移管と太平洋戦争(1941-1945)」の解説
上郷青年会に代わって1941年(昭和16年)4月に上郷国民学校長が団長を務める官製の上郷青少年団が発足した。青年会長は青少年団の総務部長に、青年会図書部長は文化部長に就任し、図書館の村立移管を提起した。戦争に人員を取られたことによる財政難が大きな要因だったものの、自主運営で当局から購入図書にケチを付けられるよりは、「村が本を買ってくれた」という体裁にして購入図書を要望する方が得策だと考えたことも背景にあった。上郷青少年団幹部らは同年の村会で図書館の窮状と移管を陳情し、6月19日に移管が決定、7月12日に上郷国民学校長・原太一を館長とする「村立上郷図書館」の移管式が挙行された。運営権は村、実質的には上郷国民学校の教員に移ったが、交渉の結果、実務は引き続き青年らが行えることとなった。原館長は自由教育の推進者であったことから読み聞かせを重視しており、これまで手薄だった小学生の利用を促進した。また不評だった延滞料撤廃や、隣組青年班で希望図書を取りまとめて一括貸出・返却する仕組みの構築、司書を中心とした読書会の設立などの改革を行った。一方で青年らは軍事教練や日々の農作業で疲弊し、読書どころではなくなっており、細田源吉『未亡人』、安部磯雄『不妊結婚と人間改造』など約200冊を「不良図書」として除籍し、代わりに良書としてウィリアム・シェイクスピアらの古典文学、日本の純文学、国策本など硬派な本を購入し青年の要望を汲まなかったため、原館長への不満を募らせていた。 そこで村立移管3年目にして司書の佐々木五郎が選書を青年に任せる方針を取り、青年らは小説を多く買い求めた。また利用者の中から「こういう本を探している」という問い合わせが職員に寄せられたことで現代のレファレンスサービスに通じる取り組みが生まれ、図書館は村の文化センター、村民の拠り所となった。運営主体が図書館活動に理解のある学校教師であったことが奏功し、終戦の直前まで図書館は開館し続けることができた。最終的に本土決戦が現実味を帯びてくると図書館は郷土防衛隊本部に接収され兵舎と化し、蔵書は分散、窓ガラスは割れて戸締まりもできないという状態で終戦の日を迎えた。 1945年(昭和20年)8月30日、上郷青少年団は解散し、自主組織としての上郷青年会が9月13日に復活し、10月7日には上郷女子青年会も設立された。青年会は早速、図書館の復興に着手し、10月10日より協議を開始、12月には図書部を設置した。
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