村組、世帯数、人口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:13 UTC 版)
「磯 (京丹後市)」の記事における「村組、世帯数、人口」の解説
天明年間(1781年 - 1789年)に60数戸、1868年(明治元年)には72戸が居住し、当時としては大きな集落であったという。 1927年(昭和2年)の北丹後地震時点では、明治初期とそう変わらず70戸あまりが暮らしていたが、震災後、浅茂川や都市部への離村が進み、1950年(昭和25年)に網野町と合併した時点で50戸余りに数を減らしていた。 1970年代後半の記録では、45世帯、227人が居住し、2007年(平成19年)時点で33戸まで減少した。 21世紀における集落は、府道浜詰網野線をはさんで海岸側と山側のそれぞれの段丘上に展開する。大正時代には東組・中組・西組の3組にわかれ、組対抗の運動会などが行われた。各組それぞれに2つの隣組があり、正月七日の講などはこの6組の隣組単位で行われたというが、21世紀には戸数を減らしたため、平均6戸から成る5組の隣組で講が開かれている。
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