村落での女性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 07:46 UTC 版)
土地台帳や惣村の代表者に記されるのは男性で占められるが、これは荘園などの土地制度の広がりと共に百姓に政治的な影響があったためと考えられる。しかし現実には女性が領地を所有していることもあった。中世集落では村落の神社などの普請にあたり女性の寄進も残されており、また祭祀においては女性座が設けられるなど神事にも携わっていたことが分かる。こうした神事は村落の政治の場でもあり、村落運営に女性も関わっていたと考えられる。また南北朝時代には、百姓が横暴をはたらく下司への対策を練っていた場に下司が夜討ちをかけ、住民が犠牲になる記録があるが、その中に女性2名が含まれており、重要な寄合に女性が参加していたことが分かる。中世後期の惣村では領主と対立すると土一揆や逃散で抵抗をした。逃散は住民が家を離れる抗議行動であるが、女性らは夫と行動と共にせず家に籠って生活拠点を護ったとされ、それぞれの場所で共に領主に抵抗したと考えられる。 一方で都市の職人、商人では女性も珍しくない。1500年頃作成の『七十一番職人歌合』にある142種類の職業のうち34人が女性である。女性が描かれた職業は食糧製造販売、衣料製作、日用品販売、芸能などである。なかには夫(浦人)が捕った魚を売る桂女のように家内で分業しているものもある。また、座の代表を務める女性もいた。京で紺灰を販売していた座の一つ賀々女流の座権利は後に娘に譲られている。
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