本線列車用の機関車
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「北海道炭礦汽船夕張鉄道線」の記事における「本線列車用の機関車」の解説
11形 (11 - 14) 1926年、当鉄道の開業に際して日立製作所で製造された軸配置1Dのテンダ機関車。 詳細は夕張鉄道11形蒸気機関車を参照。 21形 (21 - 28) 11形より強力な機関車として、戦争体制の強化によって1両が1941年に、戦後の石炭輸送の増加に伴って7両が1948年から1964年にかけて導入された国鉄9600形の同形機および払い下げ機である。のちには、ギースル煙突装備などの近代化改造が計画される(実現はしていない)など、11形に代わって貨物輸送の主力として長く使用され続け、廃線時には21、25 - 28が残っていた。 同じ21形でも軸配置1D、重量59.83 - 62.52t、全長16,563 - 16,662mm、動輪径1,260mm、固定軸距4,572mm、シリンダ508mm×610mm、全伝熱面積153.6 - 163.6m2と、製造年などにより若干仕様が異なっていた。 21は、1941年に川崎車輛で製造された自社発注機で、昭和に入ってから製造された9600形として、三菱大夕張鉄道3、4号や美唄鉄道5号に並ぶ数少ない事例であり、そのなかでも最後に製造された1両であった。簡易排雪装置(特殊雪カキ器装置)を装備していた時期がある。 22は、1915年川崎造船所製造の国鉄9682を1949年に譲受したもの。パイプ煙突に改造されており、簡易排雪装置(特殊雪カキ器装置)を装備していた時期がある。1971年に北炭真谷地鉱業所へ移った。 23は、1914年川崎造船所製造の国鉄9614(最終配置岩見沢区)を1956年に譲受したもの。キャブ下部がS字形状、大煙管が1本少なく小煙管が8本多いなどの差異がある、9658までの9600形初期型に属するものであった。1970年廃車。 24は、1914年川崎造船所製造の国鉄9645(最終配置旭川区)を1960年に譲受したもの。1969年に北炭真谷地鉱業所へ移った。 25は、1921年川崎造船所製造の国鉄49694(最終配置鷲別区)を1961年に譲受したもの。火室にアーチ管がなく、若干伝熱面積が少ないものであり、簡易排雪装置(特殊雪カキ器装置)を装備していた時期がある。 26は、1919年川崎造船所製造の国鉄29674(最終配置田端区)を1962年に譲受したもの。簡易排雪装置(特殊雪カキ器装置)を装備していた時期がある。 27は、1920年川崎造船所製造の国鉄49634を1963年に譲受したもの。火室にアーチ管がなく、若干伝熱面積が少ないものであった。 28は、1920年川崎造船所製造の国鉄49650(最終配置長岡一区)を1964年に譲受したもの。この機関車は夕張鉄道でさまざまな改造がなされ、前照灯シールドビーム化、動力逆転機化、除煙板下部の切取、テンダーの炭庫の両サイドのカットがなされていた。
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