映画話術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 01:05 UTC 版)
山中のサイレント映画時代の作品では、インタータイトル(中間字幕)を単に会話字幕や説明としてではなく、画面と同質の機能を持つショットとして扱い、その字幕を画面とリズミカルに交互に組み合わせるという独自の映画話術を確立した。その特徴は会話字幕を七五調にし、5字や7字程度の句ごとに字幕を分割して画面と組み合わせたことであり、それによって独特の韻律、動感、情緒を作り出した。例えば、『磯の源太 抱寝の長脇差』で主人公が喧嘩相手のもとへ走って行くシーンでは、「矢切一家に」「助ッ人一人」「常陸の国は」「茨城の郡」「祝の生まれ」「磯のッ」「源太郎だ!」という主人公の名乗りを表現した分割字幕と、土手の上を走る主人公の移動撮影の画面を交互につないでおり、映画評論家の滋野辰彦はそれによって斬新なスピード感とスッキリとした快いリズムが作り出されていると指摘している。 『小判しぐれ』の分割字幕と画面の組み合わせは、山中の映画話術の有名な例であり、加藤泰は「今日なお無声映画を語る場合、その時代劇映画を語る場合、伝説的にさせなって語り継がれる名場面」と述べている。それは江戸を追われた主人公が川へ飛び込み、その時に主人公の笠が流れて行くというシーンで、「流れて」「流れて」「此処は」「何処じゃと」「馬子衆に問えば」「此処は信州」「中仙道」という民謡風の細分された字幕を、美しい山野や街道などのショットと組み合わせることで、時間経過や空間の変化を表現するという方法である。山本は、この映画話術が謡曲などに使われた表現形式で、旅の風景やそれに対する心理を表現する道行文のようであると指摘し、「映像の道行文」と呼んでいる。「映像の道行文」の性質を持つ字幕と画面の組合せはほかの作品でも用いられており、例えば、『盤獄の一生』で社会の欺瞞に遭遇し続けた主人公が、旅をしながら乞食やインチキな五目並べに騙されるシーンでは、その映像を挟みながら「騙されて」「また騙されて」「日が暮れる」という七五調の字幕を挿入している。 トーキー時代の作品『丹下左膳余話 百万両の壺』では、「逆手の話術」と呼ばれる映画話術を使用したことで知られている。逆手の話術は、あるショットから次のショットへと場面を転換する時に、前のショットで登場人物が否定していた事柄を、次のショットでは肯定してしまうというように、逆手にショットをつなぐことでコミカルな効果を生み出すという手法である。この作品では逆手の話術が5回使われており、例えば、丹下左膳が矢場を営む女房に客を送って行けと言われ、絶対に行かないと駄々をこねて言い張るショットを示したあと、次のショットでは左膳が客を連れて夜道を歩いている。
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