旧市街(府内城下)の町名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 09:09 UTC 版)
「大分市の地名」の記事における「旧市街(府内城下)の町名」の解説
大分市中心部・府内城下の公称地名は、住居表示実施以前はすべて「大字大分」であった。しかし、あくまで通称町名もしくは小字という形ではあったが、他の城下町同様、町名が設置されていた。この項では、城下町の伝統的な町名について、主に明治期から昭和中期・住居表示実施の時期までについて記す。 大分町は1875年(明治8年)、府内町・松末町・笠和町・千手堂町・同慈寺町・荷揚町・南勢家町の7町が合併し発足している。ただし、このうち、府内町・松末町・千手堂町・南勢家町については、複数の町の総称であり、実際は計53町が大分町に通称町名あるいは小字として引き継がれたことになる。以下、町の一覧を示す。 府内町 唐人町、名ヶ小路町(名号小路町)、於北町、桧物町、東上市町、中上市町、西上市町、鍛冶屋町、京町、革屋町(本町)、大工町、魚町、茶屋町、白銀町、西小路町、桜町、室町、西町、清忠寺町、上柳町、中柳町、下柳町、塗師町(ぬし)、田町、今在家町、寺町、下紺屋町、上紺屋町、竹町(1丁目~5丁目)、東新町(※後述) ※小字名としては細工町を含む。 松末町 中ノ町、下市町、稲荷町、胡町、万屋町、長池町、北町、中横町、東町、塩九升町、東新町(※後述) ※小字名としては長池町を東西に分けている。また、上記以外に御屋敷、江戸町の小字が存在した。 千手堂町 小物座町(こもんざ)、天神町、後小路町、古川町、米屋町、元町 南勢家町 堀川町、船頭町、西新町、沖ノ浜町 ※小字名としては袋町、堀詰、大道を含む。袋町は荷揚町に同名の町が存在したが関連は不明。 笠和町 当町を細かく分ける単位はない。住居表示直前の段階では、字笠和町ではあったものの、通称町名としては「若草」と呼ばれていた。 同慈寺町 同慈寺町は細工町と言う別名があり、むしろ当時の地図も「細工町」と書かれていたケースがほとんどである。ただし、小字名一覧によれば、「細工町」は府内町の一となっている。 荷揚町 小字としては東広小路、西広小路、北広小路、薮小路、山里、大手前、中島、開墾地、南新地、西新地が存在した。ただし、南新地を除けば、全域が通称町名としては荷揚町北・西・東・南として扱われていた。南新地・西新地については堀の埋め立て地であり、その後も通称町名として用いられた。 別の地図によれば、のちの荷揚町にあたる地区の町名として、東広小路、中広小路、薮小路、袋町、南町、東立町、山里口、北裏町、北広小路、中立町、浄安寺町、西町、西広小路が存在した。これらの町名のうちいくつかは、後述の旧町名表示板が設置されている。 ※東新町 7町の区分では府内町・松末町にまたがる地域として記述されている。また、当町の小字として勢溜、坊ヶ小路、六軒町が存在する。このうち坊ヶ小路は現在の錦町。 1922年、東大分村のうち、大分川左岸にあたる舞鶴町・中島裏(現在の中島・碩田町など)・豊河原(別名、弁天島。現在の弁天など)を編入し、大字大分に編入した。 1928年の時点で、大分市は83区に分けられており、内35区が大字大分に割り当てられていた。以下、その区分けを示す。上記の旧53町以外の地名を太字とする。 区町名区町名区町名1 東荷揚町・南荷揚町 2 北荷揚町・西荷揚町 3 東新地・中新地・西新地・南新地 4 西長池町・東長池町・北町 5東 長浜町 5西 塩九升町 6 東新町・南新町 7 元町 8 米屋町・古川町 9 万屋町・胡町・稲荷町 10 後小路町 11北 中ノ町・下市町 11南 天神町・小物座町 12北 桧物町・東上市町・唐人町・名ヶ小路 12南 外堀 13 中上市町・西上市町・鍛冶屋町 14 本町・京町 15 室町・西町 16 中柳町・上柳町・清忠寺町 17 笠和町 18 竹町 19 下柳町・塗師町・田町 20 桜町・西小路町 21 白銀町・茶屋町 22 大工町・細工町・魚町 23 堀川町 24 上紺屋町・下紺屋町・寺町・今在家町 25 船頭町 26 北新町 27 西新町 28 大道町1~3丁目 29 上野町 69 舞鶴町 70 豊河原(弁天島) 71 中島裏 旧53町のうち、1928年の時点で確認できないのは沖ノ浜町・東町・中横町・於北町である。このうち沖ノ浜町は「大字勢家に含まれ」、「現在の浜町」とされ、その間の動向は不明である。同じ南勢家町組であった船頭町・西新町と近接する番号の区に北新町が新設されているが、関連は不明である(ただし、北新町と浜町は隣接している)。東町・中横町は長池町に含まれたとされる。また、その長池町と荷揚町がいくつかに分割されている。於北町はその後も継続して通称町名として使われたため、上の一覧に記載がない理由は不明である。 府内城周辺の埋め立て地が○新地とされ、南新地・西新地は前述のとおりであるが、中新地・東新地はその後の地名には見られず、詳細不明である。 その後、住居表示実施直前では以下の町が存在した。 住居表示直前の町名1928年時点の町名現在の町名荷揚町西 荷揚町・桜町・西小路町・白銀町・茶屋町・大工町・細工町・魚町・(西新地?) 中央町・都町 荷揚町東 荷揚町 大手町・中島西 荷揚町南 荷揚町 府内町 荷揚町北 荷揚町 荷揚町 南新地 南新地 大手町・府内町 長池町 長池町 大手町 北町 北町 大手町 塩九升町 塩九升町 金池町・長浜町 長浜西 長浜町 長浜町 長浜東 長浜町 長浜町 長浜南 長浜町 錦町 東新町南 東新町 金池町 東新町北 東新町 金池町 南新町 南新町 金池町 元町 元町 元町・上野丘東 米屋町 米屋町 大手町 古川町 古川町 大手町 万屋町 万屋町 大手町 胡町 胡町 大手町 稲荷町 稲荷町 大手町 後小路町 後小路町 大手町 天神町 天神町 府内町 中央町 唐人町 中央町・府内町 外堀 外堀 大手町 本町 本町・京町・室町・西町・清忠寺町 中央町 若草 笠和町・西上市町・鍛冶屋町 中央町 於北町 於北町・中上市町・東上市町 末広町 紺屋町 上柳町・中柳町・下柳町・塗師町・田町・上紺屋町・下紺屋町・寺町・今在家町 中央町・都町 竹町 竹町 中央町 堀川町 堀川町 寿町・千代町・都町 船頭町 船頭町 千代町1丁目~4丁目 北新町 北新町 寿町・都町 西新町 西新町 高砂町・寿町・中央町・都町・末広町 大道町1丁目~5丁目 大道町1丁目~3丁目 大道町・東大道・金池南 舞鶴町 舞鶴町 長浜町・舞鶴町 豊河原(弁天島) 豊河原(弁天島) 弁天・豊海 中島西 中島裏 中島西・城崎町・碩田町 中島中央 中島裏 中島中央・中島西・城崎町・碩田町 中島東 中島裏 中島東・中島中央・舞鶴町 中島北 中島裏 中島東・中島中央・碩田町・豊町 新中島西 中島裏 泉町・弁天? 新中島東 中島裏 泉町・豊町・弁天? 新中島南 中島裏 碩田町・豊町 駅前 (不明) 末広町 金池西 (不明) 金池南 金池中 (不明) 金池南 金池東 (不明) 上野町 金池南 (不明) 金池町 金池北 (不明) 金池町 顕徳寺町 (不明) 顕徳町 御屋敷 (不明) 大手町 江戸町 (不明) 大手町 城崎町 (不明) 城崎町・大手町 新大道町 (不明) 桜ヶ丘 坊ヶ小路町 (不明) 錦町 六坊 (不明) 六坊南町・六坊北町 ただし、1928年の町名のうち、中ノ町、下市町、小物座町、桧物町、名ヶ小路町、上野町については、その後の行方が不明であった。中ノ町、下市町、小物座町、桧物町については、隣接する中央町または天神町に編入された可能性がある。名ヶ小路町も同様に於北町に編入された可能性がある。上野町については別の地図では金池町周辺に存在したとされている。 1963年より、住居表示実施により、通称町名が順次廃止となった。現在、府内城下にあたる中心部の町では、旧町名を示すプレートを設置している。
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