日本庭球協会発足後とは? わかりやすく解説

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日本庭球協会発足後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 13:31 UTC 版)

福田雅之助」の記事における「日本庭球協会発足後」の解説

1922年3月に「日本庭球協会」が発足し6月に「東京ローンテニス倶楽部」で第1回全日本庭球選手権大会が行われた。福田4回戦慶應義塾大学原田武一6-3, 7-5, 2-6, 4-6, 6-1破った後、続く2試合に勝ち、こうして第1回全日本庭球選手権大会男子シングルス優勝者になった当時優勝カップは「紐育杯」(ニューヨーク・カップ)と呼ばれニューヨークの「日本倶楽部」から日本庭球協会贈られたものであった硬式テニス選手先駆者であった熊谷一弥清水善造世界的な活躍により、当時日本テニス界は最初盛り上がり見せ始めていた。 第1回全日本選手権男子シングルス優勝した翌年1923年福田初め男子テニス国別対抗戦デビスカップ日本代表選手選ばれた。日本2年前の1921年デ杯初参加でいきなり「ワールドグループ・チャレンジラウンド」決勝進んだが、1922年熊谷・清水の選手ともデ杯出場できず、初戦棄権していた。1923年デ杯で、福田清水善造柏尾誠一郎とともに日本代表選手として活躍する。「アメリカン・ゾーン」1回戦ではカナダに5戦全勝したが、決勝ではオーストラリアに1勝4敗で敗れ福田シングルス戦でジェームズ・アンダーソン1895年 - 1973年)とジョン・ホークス1899年 - 1990年)の両選手敗れた。同じ1923年には全米選手権にも初参加したが、その期間中9月1日関東大震災知らせ届き清水柏尾福田の3名は全米選手権棄権して義援金募集のためのエキシビション・マッチ行った福田自分グリップラケット握り方)を「ウエスタングリップ」から「イースタングリップ」に変える決心をしたのは、その頃のことであった1924年日本庭球協会フランス・パリ本部を置く「国際ローンテニス連盟」にも正式加入認められ福田ヨーロッパにも初遠征を果たす。初参加のウィンブルドン選手権では、3回戦インドのシドニー・ヤコブに 0-6, 2-6, 4-6敗れたウィンブルドン選手権は、これが唯一の参加となる。その後福田パリ五輪にも日本代表選手として参加したが、4回戦フランス代表のアンリ・コシェ2-6, 1-6, 3-6敗れダブルスでも2回戦敗退終わった2度目全米選手権では、福田3回戦敗退した1925年デビスカップ全米選手権最後参加をした後、福田日本に帰国する。最後海外試合は、全米選手権1回戦であった福田はハワード・キンゼイ(英語版)(アメリカ)と1回戦対戦し、この強豪選手から第1セット奪ったが、結局 6-4, 2-6, 0-6, 4-6敗退した海外遠征の期間中福田現地レポートを「東京日日新聞」(現在の毎日新聞)に送り続け、その記事彼の愛称をとって「マアちゃん通信」という名前で連載された。こうして、福田スポーツ記者として名声獲得し同時に福田自身や彼と同時代テニスについて数多く貴重な資料残された。 1926年10月25日福田雅之助当時優れた女子テニス選手であった田村富美子結婚したその後はテニス・トーナメントの運営や、スポーツ記者などの著述活動携わった。「庭球する心」を記した有名な庭球訓」は、1941年早稲田大学庭球部員1人贈られたものである1959年福田デビスカップ日本チーム監督務めた1968年勲四等瑞宝章受章。彼は最晩年までテニス関連著述活動続けたが、1974年12月21日心臓喘息のため77歳急逝した

※この「日本庭球協会発足後」の解説は、「福田雅之助」の解説の一部です。
「日本庭球協会発足後」を含む「福田雅之助」の記事については、「福田雅之助」の概要を参照ください。

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