日本への輸入と研究・出版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/31 03:27 UTC 版)
「チベット大蔵経」の記事における「日本への輸入と研究・出版」の解説
日本とチベットの本格的な接触・交流が始まるのは近代以降である。8世紀の唐の時代に、「西の吐蕃」と「東の日本」として、両国は中国の東西でそれぞれ形作られていき、その後チベットはインドから輸入・移植したチベット仏教を発達させつつ、紆余曲折を経ながら、中国はもちろん、モンゴル・満州とも深い関係となっていくが、日本は地理的な関係や、モンゴル王朝(元)や満州族王朝(清)の支配を受けなかったこともあり、近代以前に両国の直接的な接触はほとんどなく、またそれ故に、チベット仏教やチベット大蔵経が日本に持ち込まれることも無かった。 近代以降、仏教国チベットの評判を聞いて入蔵した河口慧海や多田等観といった僧侶達によって、チベット大蔵経が日本に請来・輸入され、本格的な研究が開始された。 河口慧海が第2回チベット旅行(1913年)時にパンチェン・ラマ10世から入手したナルタン版テンギュルは、東京大学総合図書館に所蔵されており、そのカード目録データベースはweb上で公開されている。 多田等観が1923年に帰国する際、ダライ・ラマ13世から与えられた膨大なチベット仏教文献の内、ラサ版カンギュル、デルゲ版テンギュル、ナルタン版テンギュルは、東京大学文学部印度研究室が所蔵し、 ラサ版カンギュルの目録 『東京大学所蔵ラサ版チベット大蔵経目録』(1965年) デルゲ版テンギュルの影印版 『チベット大蔵経:デルゲ版 東京大学文学部所蔵』(1977年–1981年) などが刊行された。他方で、東北大学には、デルゲ版大蔵経(カンギュル・テンギュル)が収蔵され、目録として 『西蔵大蔵経総目録』(1934年) 『西蔵撰述仏典目録:東北大学蔵版』(1953年) が刊行された。 また、大谷大学には寺本婉雅が入手した北京版大蔵経が収蔵され、目録として 『甘殊爾勘同目録』(1930年-1932年) 『丹殊爾勘同目録』(1965年-1997年) が、更に山口益監修による影印版 『北京版西蔵大蔵経』(1955年-1961年) が刊行されるなどした。
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