日本への輸入の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:02 UTC 版)
「ビューチフルドリーマー」の記事における「日本への輸入の経緯」の解説
1904年に勃発した日清、日露両戦争を経て、欧米と日本の間における歴然とした軍馬の資質差が問題となり、この育種改良が喫緊の課題となった。1907年に馬政局が設置され、馬産振興を名目とした、日本における本格的な近代競馬が始まった。馬の生産は国家事業として各地の御料牧場が中心となったが民間においての生産も大いに奨励され、これを受けて三菱財閥が経営する、当時民間で最大の牧場だった小岩井農場がイギリスより種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬を輸入する。その内に含まれていた1頭がビューチフルドリーマーである。購買価格は日本円で5500円で、これは現在の貨幣価値に換算しておよそ5億から6億円という大金であった(当時は日本円とポンドの貨幣価値に大きな開きがあったことによる)。購買に当たっては下総御料牧場長の新山荘輔が馬の選定を担った。一説には破産した牧場の繋養牝馬を丸ごと買い取ったともいわれているが、その真偽については定かではない。
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