日本のカントリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 20:56 UTC 版)
「カントリー・ミュージック」の記事における「日本のカントリー」の解説
戦後進駐軍としてやってきたアメリカ兵がカントリー・ミュージックを親しみ、日本でも当時の若者を中心にブームとなった。1950年代には日本におけるポピュラーミュージックの一翼をになう存在となり全盛期を迎える。ウェスタン・ランブラーズ、チャック・ワゴンボーイズ、小坂一也とワゴン・マスターズ、堀威夫とスウィング・ウエスト、ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズやオールスターズ・ワゴンやウイリー沖山が在籍したカントリーボーイズ、小野ヤスシ、かまやつひろしらもカントリーがルーツである。ポピュラーミュージックの主流がロカビリーからエレキバンド、グループサウンズ、と移り変わるにつれその存在も愛好者中心のものとなっていった。日本国内では音楽ジャンルとしての規模や存在感は小さくなったが根強いファン層もおりプロのカントリーミュージシャンも存在する。1980年代以降も寺本圭一、ジミー時田、大野義夫、宮前ユキなど六本木MR.JAMES、銀座ナッシュビルなどのライブハウスが毎晩ライブを行っていた。小野ヤスシとドンキーカルテットを結成した飯塚文雄はカントリー音楽のライブハウスを経営(渋谷区笹塚ライブハウスLiberty Bell )、また金平隆 は自身のプロデュースするライブハウスで活動している。 往年の日本人カントリーミュージシャンたちの多くは、戦後間もない時期に進駐軍やFEN(米軍極東放送)などを通してカントリーに触れ、バンドを組み、アジア各地の米軍キャンプやその周辺のクラブで演奏していた者が多い。また、カントリーへの造詣が深いことで有名なフォークシンガー なぎら健壱はフォーク、カントリーの普及にも熱心である。近年(2000年以降)の日本のシーンでは元男闘呼組で俳優の高橋和也らがカントリーミュージックを歌っている。カントリー・ミュージックを前面に打ち出すアーティストは多くはないが、一部のJ-POPアーティストの中に本場アメリカのカントリー・ミュージックシーンの影響を受けていると思われる作品も少なくない。カントリー・ミュージックシーンとは別にブルーグラスも根強い愛好家により各地でフェスやライブが頻繁に開催されている。また1989年から音楽を通じた日米交流などを目的にチャーリー永谷らの呼び掛けで始まったカントリーゴールドは毎年10月に熊本県南阿蘇村の野外劇場アスペクタで開催され国内外のカントリーファンに親しまれる名物イベントに成長。毎回、チャーリー永谷&キャノンボールなど国内のアーティストやカントリー音楽の本場・米国の歌手らが出演。数々の危機を乗り越え、一度の中止もなく続けてきたが、2019年に惜しまれながら幕を閉じた。
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