日本のカフェ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 08:14 UTC 版)
日本では、明治時代の終わりに大阪の箕面市でコーヒーを提供する「カフェー・パウリスタ」が開店した。また、同時期、銀座にカフェー・プランタンが開業した。パリのカフェのような芸術家の集まるサロンを目指したが、本場のカフェでは男性が給仕をするのに対し、プランタンでは女給を置いた。これが評判になり多くのカフェーが出店したが、社交喫茶などコーヒーよりもアルコール類を提供する風俗営業の業態に変質していった。 詳細は「カフェー (風俗営業)」を参照 戦後になり、オープンスペースのカフェとは正反対のコンセプトである喫茶店が流行したが、コーヒーにこだわりのない喫茶店の多くは1980年代に衰退していった。また、ナイトライフの場として、1981年頃からカフェとバーを結合したカフェバーが台頭する。しかし、空間偏重の中途半端なコンセプトのもとに創られたカフェバーは、20世紀末にはほぼ消滅した。 20世紀末以来、スターバックスなどアメリカ西海岸より、コーヒー豆のオリジナルロースティングで差別化を図るカフェスタイルが世界のカフェビジネスに波及し始める。日本のカフェもその影響から、バリスタと呼ばれる専門職によってデザインされたコーヒーを提供する店が増えている。同様に、店舗の構造も開放的なバックヤードとテイクアウトカウンターを備えたカフェが主流となっている。 日本では、カフェの名称はほぼ喫茶店等飲食のできるインターネットカフェ、オープンカフェなどのような業種の総称として使われている。
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