文壇での反響
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『金閣寺』は刊行同年の12月25日付の読売新聞の「1956年読売ベスト・スリー」に、選考員10名中全員(荒正人、伊藤整、臼井吉見、亀井勝一郎、河盛好蔵、高橋義孝、平野謙、本多顕彰、山本健吉、吉田健一)の推薦を受けて選ばれ、この票をまとめた中村光夫も「古典の風格」と高評価した。 当時の他の作家や文芸評論家たちの反響も総じて良好で、連載中から「傑作」と称され、評価が高かった。戦後派文学に対し懐疑的で黙殺していた旧『文學界』同人や鎌倉文士を中心とした主流派の文学者も、三島を自分たちの正統な後継者と認め出し、それまで珍奇な異常児扱いであった三島が一目置かれるようになった。また三島を日本浪漫派の「狂い咲きの徒花」、ブルジョア芸術派と敵視していた左翼文学者たちも、三島の才能や実力をそれなりに認めるようになった。 ごく一部には、観念が独走しているといった坂上弘の辛口評もあるが、雑誌の合評では、柏木の人物造型に「無理」があるという意見もありながらも、観念小説として計算が行き届いていることや、「幼時から父は、私によく、金閣のことを語つた」に始まる出だしの部分が優れていることが指摘され、平野謙の、「今は文学作品が非常に少なくなつてゐるけれど、これは文学作品だ」という意見に対し、中島健蔵、安部公房も同意し、中島は、「これからの小説を書かうといふ人のためにこれを教材にするといいね」と述べている。安部公房は、「この小説には、たしかに観念を追うと同時に、非観念の世界にくいこんでいこうとする意図がある」と評している。 それまで三島作品に対して辛口ぎみだった臼井吉見も、「三島として稀なる傑作」だと評し、社会ダネを材料にして「これだけ自分を表現しきつたところに感心した」と述べている。中村光夫は、『太陽の季節』どころでない「危険性」のある作品、「大変な毒のある小説」だと評し、河上徹太郎は、これは「足で書いている作品」だと読み、そこが「偉いんだね」と、その労を褒めて、「画期的な大犯罪を彼のファンタジーが足でやつたんだよ」と高い評価をしている。小林秀雄は、『金閣寺』についてドストエフスキーの『罪と罰』と比較し、小説にするなら「焼いてからのことを書かなきゃ、小説にならない」ため、「小説っていうよりむしろ抒情詩」だとし、「君のラスコルニコフは動機という主観の中に立てこもっているのだから、抒情的には非常に美しい所が出て来る」と評しつつ、三島が「抒情詩」という意図で書いたと思うと述べながら、三島の「魔的」な「才能」の力を認めて、三島の「感じ方とか才能の性質」に、「何か新しい横光利一みたいな所がある」と述べている。
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