教育会運営期とは? わかりやすく解説

教育会運営期(1906-1943)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 13:35 UTC 版)

高山市図書館」の記事における「教育会運営期(1906-1943)」の解説

高山市図書館歴史は、1906年明治39年2月開館した戦捷記念高山図書館までさかのぼる。高山の町は金森長近整備した高山城とその城下町基礎とし、その後幕府直轄領時代京都江戸気風反映した文化栄えたところであり、人々の熱い思い受けて開館となった1900年明治33年)に大野郡高山町教育者有志12人が東宮殿下御成婚記念事業として通俗図書館設立する件を建議し同年5月3日高山町会は図書館建設に対して補助を行うことを議決した1905年明治38年11月2日には大野郡中部教育会図書館創立委員8人を任命し高山町諮問を行うなどの運動展開した同月高山女子尋常小学校図書館を置くことが決定している。こうして大野郡中部教育会運営する私立図書館として1906年明治39年2月戦捷記念高山図書館開館した大野郡中部教育会書籍購入費が十分でなく、設立趣意書配布し住民有志賛助求めた1908年明治41年7月運営者大野郡中部教育会高山町教育会改称した1909年明治42年)、高山町教育会予算規模拡大決まり毎年図書購入費として約140円を支出することになった1912年大正元年)には荏野文庫1,400冊を購入蔵書は倍以上の2,291冊に増加した。翌1913年大正2年9月20日大野郡教育会施設図書館創立され戦捷記念高山図書館蔵書設備一式大野郡教育会施設図書館移した1914年大正3年11月30日御大典記念として大野郡公会堂城山三の丸建設され図書館その1階に移った。この時の大野郡公会堂は「仮開館」という形であり、1915年大正4年4月23日落成式挙行している。 1916年大正5年4月17日より、夜間開館開始する1923年大正12年4月郡制廃止されたことに伴い高山町図書館改称し高山町教育会運営戻った1929年昭和4年)、高山町教育会は荏野文庫整理分類行い目録作成した。翌1930年昭和5年2月11日には成績優良として文部省から選奨された。同年9月22日には蔵書目録作成し、約800冊を頒布した1931年昭和6年4月10日高山町本籍を置く東京府牛込区在住塚越正之助から332冊の図書寄贈を受け、「塚越文庫」が設立された。同年開館日数は前年比6日増の289日、閲覧人数前年比5,993人増の10,762人であったその後高山町大名田町合併して市制施行高山市となったことで、高山市図書館改称する

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