教育会運営期(1906-1943)
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「高山市図書館」の記事における「教育会運営期(1906-1943)」の解説
高山市図書館の歴史は、1906年(明治39年)2月に開館した戦捷記念高山図書館までさかのぼる。高山の町は金森長近が整備した高山城とその城下町を基礎とし、その後の幕府直轄領時代に京都と江戸の気風を反映した文化が栄えたところであり、人々の熱い思いを受けての開館となった。 1900年(明治33年)に大野郡高山町の教育者ら有志12人が東宮殿下御成婚記念事業として通俗図書館を設立する件を建議し、同年5月3日に高山町会は図書館の建設に対して補助を行うことを議決した。1905年(明治38年)11月2日には大野郡中部教育会が図書館創立委員8人を任命し、高山町へ諮問を行うなどの運動を展開した。同月、高山女子尋常小学校に図書館を置くことが決定している。こうして大野郡中部教育会の運営する私立図書館として1906年(明治39年)2月に戦捷記念高山図書館が開館した。大野郡中部教育会は書籍の購入費が十分でなく、設立趣意書を配布し、住民有志に賛助を求めた。 1908年(明治41年)7月、運営者の大野郡中部教育会は高山町教育会に改称した。1909年(明治42年)、高山町教育会は予算規模拡大が決まり、毎年図書購入費として約140円を支出することになった。1912年(大正元年)には荏野文庫1,400冊を購入、蔵書は倍以上の2,291冊に増加した。翌1913年(大正2年)9月20日、大野郡教育会施設図書館が創立され、戦捷記念高山図書館の蔵書や設備一式を大野郡教育会施設図書館に移した。1914年(大正3年)11月30日、御大典記念として大野郡公会堂が城山三の丸に建設され、図書館はその1階に移った。この時の大野郡公会堂は「仮開館」という形であり、1915年(大正4年)4月23日に落成式を挙行している。 1916年(大正5年)4月17日より、夜間開館を開始する。1923年(大正12年)4月に郡制が廃止されたことに伴い、高山町図書館に改称し、高山町教育会の運営に戻った。1929年(昭和4年)、高山町教育会は荏野文庫の整理・分類を行い、目録を作成した。翌1930年(昭和5年)2月11日には成績優良として文部省から選奨された。同年9月22日には蔵書目録を作成し、約800冊を頒布した。 1931年(昭和6年)4月10日、高山町に本籍を置く東京府牛込区在住の塚越正之助から332冊の図書の寄贈を受け、「塚越文庫」が設立された。同年の開館日数は前年比6日増の289日、閲覧人数は前年比5,993人増の10,762人であった。その後、高山町は大名田町と合併して市制施行し高山市となったことで、高山市図書館に改称する。
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