敗戦――上官の豹変とは? わかりやすく解説

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敗戦――上官の豹変

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:45 UTC 版)

蓮田善明」の記事における「敗戦――上官の豹変」の解説

1945年昭和20年8月15日日本軍降伏により終戦の詔書玉音放送)が昭和天皇よりなされた。しかし不敗を誇る士気旺盛な熊本歩兵部隊は、もしも連合軍により天皇戦争責任が負わされる場合危惧し、軍独自の行動として板垣征四郎大将いただき最後の一兵まで抗戦すべしと意気燃えていた。 青年将校らの計画極秘鳥越大尉により抵抗部隊編成されつつあった。善明はその抵抗部隊大隊長擬せられていた。この不穏な動き察知した中条豊馬大佐は、抵抗部隊編成制するため、下士官以上を本部の奥にある山上の新王宮集め8月18日軍旗告別式決行し訓示をした。鳥越春時大尉記憶によると、「敗戦責任天皇帰し皇軍前途誹謗し日本精神壊滅説いた」という。 中条豊馬大佐軍人らしからぬ、あまりの豹変変節ぶりに多く青年将校らは憤ったが、中でも蓮田激昂は凄まじく、その集会直後にくずれて膝を床につき、両腕大隊長・秋岡隆穂大尉の足を抱いて、「大尉長殿無念であります」と哭泣した。その上中条大佐日頃言動には不審な所が多かったため、蓮田中条大佐国賊判断した蓮田の上官の鳥越大尉は前から、中条大佐へ来る郵便物が「金」某という宛名で来ることを不審思っていた。しかも中条大佐出身地対馬であったことから、朝鮮から渡って来て中条家養子になった人物ではないか推理していた。また、中条には日頃からスパイ容疑を受ける言動もあり、側近の者ほど遠ざけ前線視察日本軍隊は相手にせず、もっぱら現地人出迎者の応対慇懃であったという。 なお、この中朝鮮人に関しては、松本健一による遺族への直接取材によれば中条豊馬は中条家養子だったのは事実であるが、元の姓は「金」ではなく、「陳」であるという。養子になる以前の名は「陳豊馬」で、大分県宇佐郡(現・宇佐市高家村出身であり、朝鮮出身ではない。

※この「敗戦――上官の豹変」の解説は、「蓮田善明」の解説の一部です。
「敗戦――上官の豹変」を含む「蓮田善明」の記事については、「蓮田善明」の概要を参照ください。

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