敗戦と復員
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8月15日に日本がポツダム宣言を受諾し、戦争が終わると、陸軍は解体されることになり、各部隊は次々に復員(解散)した。師管区部隊は復員業務と治安維持のためにしばらく存置された。砲兵補充隊と工兵補充隊だけは9月中に復員する予定であった。 戦後に厚生省がまとめた資料によれば、砲兵補充隊と工兵補充隊は9月5日、地区司令部と地区特設警備隊は9月6日に、一足先に復員した。師管区司令部、連隊区司令部、その他の補充隊は11月1日に一斉に復員した。陸軍病院も11月1日に復員し、病院は厚生省の管轄に移って国立病院になった。連隊区司令部は12月1日に復員した。しかし、東海軍管区司令部の報告によると、11月1日などは予定日で、11月に入っても司令部・補充隊は人数を減らしながら残っていた。復員がもっとも遅れた歩兵第2補充隊は11月上旬まで440人を残しており、その時点で他の補充隊は5から10人を残していた。11月25日までに各補充隊は1人を残すのみとなった。 金沢師管区司令部は、実質的には第一復員省東海復員監部金沢支部に転換したが、定員が26人、定員外に10人と、規模を縮小した。
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敗戦と復員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 05:17 UTC 版)
8月15日に日本がポツダム宣言を受諾し、戦争が終わると、陸軍は解体されることになり、各部隊は次々に復員(解散)した。しかし、師管区部隊は復員業務と治安維持のためにしばらく存置された。砲兵補充隊と工兵補充隊は9月15日に復員したが、他の補充隊はその後になった。 内地の師管区司令部は陸軍省廃止直前の11月末に一斉に復員し、長野師管区部隊も廃止になった。実質的には司令部が第一復員省東部復員監部長野支部に転換したが、人員は55人と少なくなった。
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