敗戦とジロンド派内閣の失脚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 08:10 UTC 版)
「フランス革命」の記事における「敗戦とジロンド派内閣の失脚」の解説
ジロンド派内閣はオーストリアとの戦争の議会の賛成を取り付け、オーストリアとプロイセンに宣戦布告した。しかし、国境に展開したフランス軍は依然として将校は貴族で、革命前の階級制度が維持されていた。貴族将校や貴族の将軍は革命政府を嫌悪して戦争をやる気が無かった。国王と王妃も敗戦を望み、フランスの作戦計画は国王と王妃を通してオーストリアに内通されていた。フランス軍は各地で敗走し、敵国軍はあまり困難なくフランスに侵入した。こうした事態から、戦争に勝つためには新しい愛国心を持ったフランス人による軍隊を組織しなければならないことが痛感された。議会では領主権の無償廃止を阻止したいフイヤン派が復権し、国王はジロンド内閣を6月13日に罷免した。ラファイエットは軍をひきいてパリへ進撃し、フイヤン派の独裁政権を作る計画を立てていたので,積極的に敵国軍と戦闘をしなかった。7月6日にルイ16世は、国境にプロシア軍が迫っていることを議会に報告した。無所属の中央派議員は革命フランスを敵国から守る意思を持っている者が多かったので、7月10日フイヤン派の大臣は辞職に追い込まれ、議会は「国家は危機にある」という宣言を出した。
※この「敗戦とジロンド派内閣の失脚」の解説は、「フランス革命」の解説の一部です。
「敗戦とジロンド派内閣の失脚」を含む「フランス革命」の記事については、「フランス革命」の概要を参照ください。
- 敗戦とジロンド派内閣の失脚のページへのリンク