放送用語黎明期
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日本のラジオ放送は1925年3月に始まり、同年7月に本放送が開始された。このころのアナウンサーは各地の放送局でそれぞれ募集し、特に決まった教育はされていなかった。また、ニュースにおいては新聞社・通信社から提供された原稿を読み上げており、新聞原稿をアナウンサーが適時話しことばに直して放送していた。 数千の遊女が赤い蹴出しをひるがえして逃げ惑うさま凄惨を極めました。 — 1925年3月5日の試験放送における臨時ニュース このように初期のニュースでは、新聞原稿の文尾を口語に直すのみで、ほぼそのまま読んでいたと考えられる。まもなく放送で用いることばの発音について厳しい意見が寄せられるようになる。 東京放送局のアナウンサー諸君の田舎ツペイ言葉にも困つたものだ「こづらは東京放送局であるます」ぢや東京放送局の其の東京の名前にそむくと言ふもんだ。(後略) — 『日刊ラヂオ新聞』1925年10月16日投書欄 1928年に全国放送が始まると放送用語の標準化の必要性が高まり、識者からも日本語の標準的発音の普及と、放送局への期待が寄せられるようになる。 標準語を普及させるには成るべく頻繁に成るべく多くの人に標準語を聞かせなければならない。ここに於いてラヂオの有難味が痛切に感ぜられる。(後略) — 神保格(1931) 日本にはまだ日本語の発音の標準といふものが確立してゐないやうに見える。(中略)放送局そのものにさういう責任はないだらうが、便宜上放送局にさういふ役目を分担してもらへたら結構な事だと思ふ。 — 高村光太郎(1932) こうした状況で、各放送局も試行錯誤を始めた。日本放送協会は1929年に『アナウンサー参考難解地名人名字彙』『西洋音楽語彙』を作成した。そのはしがきには以下のように記されている。 放送業務におけるアナウンサーの職務其の地位の重大なることは今更茲に述べるの要がない。其の職務を行う上に於いて心得べき事も、発音の正確、其の抑揚、社会現象と自然現象に対する理解と研究、健康上の注意、非常時に際し冷静なる判断と沈着なる処置、其の他百般の事項を挙げることを得るであらうが、其の中最も注意を要するは地名と人名に対する正確なる読方である。(後略) — 『アナウンサー参考難解地名人名字彙』 従来日本では西洋音楽の語彙が甚だ区々に使用せられ、統一した拠りどころが無く、従つて同一の文字が幾通りにも翻訳或いは音訳せられて居た。(後略) — 『西洋音楽語彙』
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