情報工学者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:15 UTC 版)
将棋関連の活動と並行し、学業にも力を注いでいた。高校3年時の下半期に三段リーグ戦に初参加し11勝7敗の好成績を残す一方で大学受験勉強も同時にこなし、現役で東京大学理科一類に合格した。大学入学後は電子情報学を専攻した。 2014年には大学の授業に関連して、将棋盤面の画像解析による棋譜の自動記録プログラムを開発。2019年3月には、自動車技術会主催の『Japan Automotive AI Challnege 自動運転AIチャレンジ』に、チーム「MTLLAB」の代表として参加し、シナリオ完走部門・制御精度部門の2部門を制した。この大会での活躍によりベンチャー企業からのスカウトを受け、2020年7月現在、車載画像認識アルゴリズム開発に携わるエンジニアとして勤務している。 2019年10月に四段昇格した際には、指導教官の坂井修一から、プロ入り後も電子情報学の研究者としての活動を継続することが公表された。 棋士・情報工学者としての両方の知見を活かし、コンピュータ将棋の開発やゲーム情報学の研究にも従事する。2021年5月には、MCTS(モンテカルロ木探索)およびBERT(Transformerベースの機械学習手法)を応用した将棋エンジン「BERT-MCTS-YOUTUBE」を開発し、YouTubeチャンネル『予備校のノリで学ぶ「大学の数学・物理」』内の動画で公開した。同年10月、プログラミング言語・Pythonの国際カンファレンス「PyCon JP 2021」に登壇し、「将棋とPythonの素敵な出会い」と題した基調講演を行った。2022年5月の第32回世界コンピュータ将棋選手権には、自作の将棋ソフト「prelude」で参戦した。
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情報工学者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/20 21:05 UTC 版)
1991年に静岡県立大学に転じ、経営情報学部にて助手として勤務した。主として、経営情報学科の講義を担当した。1996年、静岡県立大学の経営情報学部にて、助手から講師に昇任した。2002年には、同じく静岡県立大学の経営情報学部にて、講師から助教授に昇任している。また、「学校教育法の一部を改正する法律」にともない、2007年に助教授から准教授に職位が変更された。また、静岡県立大学の大学院では、経営情報イノベーション研究科にて、経営情報イノベーション専攻の准教授を兼務した。なお、経営情報イノベーション研究科の前身である経営情報学研究科でも経営情報学専攻の准教授を兼務していたが、同研究科は在学中の院生が修了予定の2012年3月までは存続するため、その間はそちらの准教授も同時に兼務した。その後、静岡県立大学の経営情報学部にて、経営情報学科の教授を務めた。また、静岡県立大学の大学院では、経営情報イノベーション研究科にて、経営情報イノベーション専攻の教授を兼務した。そのほか、斉藤和巳の後任として、附属ICTイノベーション研究センターのセンター長を兼務した。池田哲夫の後任として、2017年より情報センターのセンター長を兼務した。 その間、1996年の1月から3月にかけて、イギリスのバッキンガムシャー州に本拠を置くオープン大学にて、客員研究員に就任した。また、1996年から2001年にかけて、静岡精華短期大学にて講師を務めた。2002年からは、静岡英和学院大学にて講師を務めていた。2008年には、東北学院大学の大学院にて、人間情報学研究科の博士後期課程を修了した。それにともない、博士(学術)の学位を取得した。学位論文の題は 「分散環境を利用した知的協調作業支援に関する研究」。
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