恩給の歴史
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近代恩給制度は1875年の海軍退隠令及び1876年10月23日の陸軍恩給令、1883年9月11日の海軍恩給令(海軍隠退令を廃止)に始まり、1884年1月4日には官吏恩給令が制定され、同時に太政官に恩給局が設置された(太政官達。15年以上在勤者に恩給)。この他にも1882年には警察官、1890年には教員に関する恩給制度が制定されているが、当初は部署によってバラバラに恩給制度が制定されたために複雑になってしまった。そのため、陸軍恩給法・海軍恩給令を統合し1890年6月21日軍人恩給法が公布され、1923年に恩給法が制定され、制度の一本化が図られた。同法では複雑な恩給の体系を普通恩給・増加恩給・一時恩給・傷病賜金・扶助料・一時扶助料に整理してその総称として恩給と規定した。また、「公務員及之ニ準スヘキ者並其ノ遺族ハ本法ノ定ムル所ニ依リ恩給ヲ受クルノ権利ヲ有ス」(第1条)とする恩給権の概念が形成された。ただし、一部(官業部門など)に恩給の対象外の政府職員がおり、その該当者に対しては官業共済組合が組織され、後に社会保険制度理念を基軸とする各種共済組合制度の元となった。だが、昭和初期の不況の中で恩給が保証された公務員に対する批判(「恩給亡国論」)に対して1933年の恩給法の改正が行われて恩給支給の抑制が図られた。 敗戦後の1945年11月25日、連合国軍最高司令官総司令部は軍人(不具、廃疾の者を除く)および一部の軍人以外の者(黒龍会などの団体員、連合軍により解散させられた会社関係者、罷免された政府官吏、抑留・逮捕された者等)への恩給の支給を翌1946年2月1日まで禁止するように命令。さらに1946年、連合国最高司令官指令に基づくポツダム勅令である恩給法の特例に関する件(昭和21年勅令第68号)により、重症者に係る傷病恩給を除き、旧軍人軍属の恩給は廃止された。その後、国会前座り込みを含む彼らの粘り強い運動の結果、1953年、1月17日閣議で軍人恩給の復活500億円を決定し、8月1日に恩給法の一部を改正する法律(昭和28年法律第150号)が公布され、8月1日に施行され、恩給が復活した。以後、旧軍人等に対する給付については、多くが恩給法本体ではなく恩給法の一部を改正する法律(昭和28年法律第150号)附則に規定されて運用されている。その後、公務員共済制度に移行(国家公務員は1958年、地方公務員は1962年)したため、恩給法は移行時点で既に退職していた公務員(旧軍人・軍属を含む)を対象とする法令となった。 なお、国民年金制度が誕生するのは1959年のことである(適用事務は1960年10月から、拠出制年金の開始に伴う保険料徴収は1961年4月から)。
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