恩納村万座毛のVOA受信所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 05:01 UTC 版)
「VOA通信所」の記事における「恩納村万座毛のVOA受信所」の解説
運営用建物 3 アンテナ 27 付随の諸施設 国頭村奥間のVOA送信所と対になる受信施設は恩納村の万座毛にあった。山が海岸まで迫っており、極めて平地の少ない恩納村で、米軍は恩納地区の数少ない海側100haの平地を強制接収し、南側60haは米軍恩納通信所(FAC6013)、有名な観光地となった万座毛のある北側40haはVOA受信施設を建設した。 山続きの地形の多い恩納村で、唯一の穀倉地帯である恩納村の平地は、1952-4年に米軍によって接収された。 1952年3月1日から万座毛で工事が着工された14万坪の土地に関して、何らの契約も土地代も支払われていないうえに、更に1954年に13万坪の土地が接収された。当時の琉球列島米国民政府の公安局が記録した「琉球警察報告書」の恩納通信所建設のための土地の強制接収に関する資料「軍事使用の土地接収に関して開かれた会議」が沖縄公文書館に残されており、それによると、1954年4月13日15時から16時50分にかけて恩納区公民館で村民の会議が開かれた。(1) 米国民政府 (USCAR) から「南恩納区の西側のすべてのエリア」を米軍に明け渡すか譲渡するか、と要求されていること (2) 没収する面積は14万8千坪にもなり、そのことで恩納区及び南恩納区の農地の約3分の2が失われること等、民政府の公安警察がこの会議に出席した人物名と発言内容などをすべて英文で記録している。反対の動きを軍が徹底して監視していたことがわかる。 恩納VOA送信所は1977年に返還されたが、南側の恩納通信所は1995年まで運用された。1995年の返還後、跡地からPCBや水銀、カドミウム、鉛、ヒ素等の有害物質が検出され、跡地開発を困難なものにさせている。
※この「恩納村万座毛のVOA受信所」の解説は、「VOA通信所」の解説の一部です。
「恩納村万座毛のVOA受信所」を含む「VOA通信所」の記事については、「VOA通信所」の概要を参照ください。
- 恩納村万座毛のVOA受信所のページへのリンク