思春期の恋愛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 22:24 UTC 版)
「マリア・ニコラエヴナ (ニコライ2世皇女)」の記事における「思春期の恋愛」の解説
マリアが最も興味があるのは結婚や子供についてのお喋りをすることであった。ロシアの兵士と結婚し、子供は20人欲しいと語ったこともあった。マーガレッタ・イーガーによると、マリアはかなり若い頃から兵士が好きだった。 「 ある日、幼い大公女マリアは窓の外の兵士の連隊の行進を見て「ああ! 私はこの親愛なる兵士達が大好き。全員にキスしたいわ! 」と叫んだ。私は「マリー、いい女の子が兵士にキスしないで下さい」と言った。数日後、子供達のパーティーが開かれ、コンスタンチン大公の子供達も招待された。そのうちの1人は年齢が12歳に達し、コープドゥ士官候補生に選ばれ、その制服を着用して来ていた。彼は小さないとこマリーにキスをしたかったが、彼女は手で自分の口を覆い、離れて大きな威厳を持って「あっちへ行け! 兵士よ」と言った。「私は兵士にはキスをしない」。少年は本物の兵士のように扱われて大いに喜ぶと同時に少し残念がっていた。 」 1910年に、マリアは知り合った一人の若い男性に対する片想いに悩んでいたことが報告されている。アレクサンドラは同年12月6日の手紙で「彼のことであまり思い悩まないようにしなさい。これは私達の友人(グリゴリー・ラスプーチン)が言ったことです」と書き、人々がマリアの片想いについて不親切なことを言うかもしれないので、気持ちを胸の内にしまっておくのが最善だと助言している。 姉のタチアナも美人の誉れ高かったが、「ロマノフ家の伝統的な美しさ」を継承したと言われていたのはマリアであった。マリアのいとこで、彼女より1歳年下のルイス・マウントバッテンも好意を抱いていることを認めていた。「僕は彼女にすっかり夢中だ、結婚することに決めた。彼女以上に美しい女性なんか想像出来っこない! 」「ああ、彼女達(OTMA)は高貴でとても可愛らしく、写真で見るよりもはるかに美しい。僕はマリーに虜だ、彼女と結婚することに決めた。彼女は疑いようがないぐらいに素敵だった。僕は自分の寝室の暖炉棚に彼女の写真を置いている。常に飾ってある」と告白している。マウントバッテンはその後に結婚したが、生涯彼女の面影を追い続けた。1979年に爆殺されて非業の死を遂げた時に彼の寝室のベッドの横にはマリアの肖像写真が飾られていた。 かつて姉オリガの縁談相手であったルーマニア王国の王太子カロル(後のカロル2世)は1915年に皇宮を訪れた際、マリアとの婚約を申し込んだが、ニコライ2世はマリアはまだ結婚するには若過ぎるという理由で笑って取り合おうとしなかった。 第一次世界大戦中にマリアと彼女の姉妹、母親は時々、モギリョフにある軍総司令部(スタフカ)で最高司令官の任務を遂行する父親ニコライ2世と彼に同伴した弟アレクセイを訪問した。マリアはこの訪問中にニコライ・ドミトリエヴィッチ・デメンコフという名の当直将校に恋愛感情を抱いた。ツァールスコエ・セローに戻った後はしばしば「デメンコフによろしく伝えてね」とニコライ2世に頼み、皇帝に送る手紙に冗談で「デメンコフ夫人」と署名したこともあった。マリアはデメンコフのためにシャツを縫い、その後に2人は何度か電話でも話をして、デメンコフは贈られたシャツを気に入っていると話した。しかし、ロシア革命の勃発により、本格的な交際には至らずに終了した。姉妹はデメンコフに夢中のマリアを時々からかった。オリガはある日の日記に「明日、アーニャ(アンナ・ヴィルボヴァ)は・・・ヴィクトル・エラストヴィッチとデメンコフ(と私達全員)をお茶に招待します。当然のことながら、マリアはとても嬉しそうです! 」と取り上げている。
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