弾薬と発射速度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 04:50 UTC 版)
ミトラィユーズは手動で装填するため、その発射速度は操作者の技量に大きく依存していた。熟練射手によるReffyeミトラィユーズは標準的な射撃では1分につき4度の連射(100発)を継続でき、非常事態ならば1分につき5度の連射(125発)に達した。1度の連射(25発)の発射速度は、射手が銃尾部の右側に装備されている小さな手動クランクを操作することによって調節された。つまりこの兵器の25本の銃身は一度に発射されるのではなく高速連射されるものであった。675kgという大重量によって、Reffyeミトラィユーズは射撃中に反動でぶれることが無かったが故に一連の発射の後に目標に対する再照準の必要はなかった。射撃時に反動がないことは普通の野砲に勝るかなりの利点として、Reffyeにより売り込まれた。通常のreffyeミトラィユーズの砲列では、各砲列に6門をほぼ横並びに並べて同時に発射した。 Reffyeミトラィユーズは13mmのセンターファイア式薬莢を使用した。これはGaupillatによって設計されたもので、当時の弾薬の設計では最高水準の技術を代表していた。この弾薬は現代の細長い散弾銃用実包に類似していた。センターファイア式で、縁付きの真鍮製の頭部とダークブルーで強化されたボール紙の薬莢体であった。重量50g、口径13mmのパッチ付き弾頭は圧縮済みの黒色火薬で推進され、砲口初速は480m/sで、シャスポー銃またはドライゼ銃の弾薬より3.5倍強力であった。これは当時存在した最も強力な小銃サイズの弾薬である。Reffyeミトラィユーズは口径11mmのシャスポー銃用の紙製燃焼薬莢には対応しなかった。 13mmのセンターファイア式ミトラィユーズ用実包は鋼製のブリーチブロックの中へ装填された。モンティニー ミトラィユーズではこれと異なり、実包は弾薬板の基盤に固定される。ミトラィユーズの発射に際しては一つのブロックを射撃中に、もう一つはエキストラクター上で空薬莢を除去しつつ、さらにもう一つは包装済みの25発弾薬箱から装填する、連続射撃のために3つのブリーチブロックを使用した。 この兵器の銃身は掃射のための旋回ハンドルによって前後および水平方向へ可動できた。しかし射角は狭いものであり、かつ、短距離で効果的な掃射を行うには、銃身が横から横へと十分な角度で旋回できなかった。この兵器の戦場での発砲は非常に限定的で、プロイセン兵はしばしば一度に複数の銃弾を受けた。普仏戦争での早期の交戦では、1870年8月6日、アルザスのフォルバッハにおいて、プロイセンの将官であるde:Bruno von Françoisが、斉射されて非常に密な間隔で並んだ4つの弾丸によって倒された。プロイセン連隊の記録によれば、これらの4つのミトラィユーズの弾丸は600m離れた距離から射撃されていた。フランス軍の砲兵は、短距離の局地防御のため、同一の薬莢から3発の弾丸を発射可能な特殊弾薬を開発することでこの問題の修正を図った。
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