式守伊之助_(24代)とは? わかりやすく解説

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式守伊之助 (24代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/08 16:26 UTC 版)

24代式守伊之助
24th Shikimori Inosuke
基礎情報
行司名 初代木村正義 → 木村正信 → 3代木村正直 → 24代式守伊之助
本名 おざき のぶお
尾崎 信雄
生年月日 (1919-04-15) 1919年4月15日
没年月日 (2013-02-01) 2013年2月1日(93歳没)
出身 日本香川県大川郡志度町(現さぬき市
所属部屋 朝日山部屋
データ
現在の階級 引退
最高位 立行司(式守伊之助)
初土俵 1935年1月
幕内格 1954年9月
三役格 1961年11月
立行司 1977年11月
引退 1984年4月14日
備考

24代 式守 伊之助(にじゅうよんだい しきもり いのすけ、1919年(大正8年)4月15日 - 2013年(平成25年)2月1日)は、大相撲立行司式守伊之助としての在位期間は1977年11月1984年3月朝日山部屋所属。香川県大川郡志度町(現さぬき市)出身。本名は尾崎信雄。

人物

父親は高砂部屋の元三段目力士。

23代木村庄之助(2代木村正直)の弟子。1935年1月場所に初代木村正義の名で初土俵。兵役で一時相撲界を離れたが、1947年6月場所に十両格最下位で復帰した。その後、木村正信時代の1961年11月場所、三役格行司に昇進。翌1962年1月場所、3代木村正直を襲名。立行司24代式守伊之助を襲名するまで16年間(96場所)も三役格行司を務めた。

本来ならば、木村庄之助も襲名できるキャリアであったが、1972年から実施された行司抜擢制度により、1974年1月に自身より年下で序列が下位の4代木村玉治郎立行司に昇格し23代伊之助を襲名した。23代伊之助が27代木村庄之助に昇格した1977年11月場所で正直も立行司に昇格、24代伊之助を襲名するも結果的には行司抜擢制度の煽りを食らった形で伊之助止まりとなった。

1984年3月場所後停年。伊之助在位39場所は伊之助在位場所数としては25代伊之助(40場所)に次いで2位である。

正直時代には、投げの打ち合いで際どい取組になると、土俵に顔がつくほどに屈み込んで勝負の判定をすることがあり、その様がプロレスレフェリーがピンフォールのカウントを取る所作に似ていたので、「プロレス行司」と呼ばれていた。

制限時間いっぱいの「待ったなし!」の掛け声をかける時、仕切り線まで割って出て、前屈みで軍配を返していた。

行司を停年退職した後は岡山県に住んでいた[1]

弟子に4代木村正直がいる。2013年1月29日にその正直に59歳の若さで先立たれると、自身も3日後の2月1日に鬱血性心不全のため死去。享年93[2]

その他

  • あだ名は「隠居」。これは若い頃から老け顔だったことから。
  • 立行司時代は水入り廻し待ったがかかる熱戦を多く裁いた。水入り後の足の位置や組み方の再現も見事で、廻し待ったの際の力士の廻しの締め方も手際が良かった。勝負再開時の両力士の廻しをたたく姿が印象的である。
  • 正直時代の1972年3月場所、13日目の結びの一番・横綱北の富士-西前頭7枚目魁傑戦を三役格筆頭として裁いた[3]。これは22代伊之助が差し違いによりこの日出場停止となり史上初の立行司なしを記録した日である。この場所はほかに12日目の大関琴櫻-大関前の山戦(相撲競技監察委員会から史上初の無気力相撲の注意を受ける)、優勝決定戦の関脇長谷川-平幕魁傑戦(横綱・大関が出場しない初の決定戦)も三役格として裁いた。
  • 1972年9月場所千秋楽大関昇進を賭けた両関脇の初代貴ノ花輪島水入りの一番を裁いたが、水入り待ったで両者の足の位置や組み手など取組再開まで、行司の“見せ所”を発揮した。しかしこの一番、取組再開直後に軍配を土俵上に落としてしまうハプニングがあった。
  • 伊之助止まりではあったが足裁きや軍配の上げ方も正確かつ明瞭で、立行司としての彼を評価する声も多い。
  • 1981年9月場所4日目の関脇朝汐(後に4代朝潮、7代高砂)- 前頭3枚目栃光戦で朝汐の待ったを認めなかったため、朝汐は栃光に押し出された。伊之助は「(朝汐の)「待った」の声は聞こえたが、自分が「残った」と言った後だった」ため認めなかった。というのが理由だった。伊之助のこのような措置は評価されている。
  • 現役最後の一番は1984年3月場所千秋楽の大関同士の一番:若嶋津(12代二所ノ関) - 琴風(8代尾車)戦。千秋楽後の夜のNHK総合テレビジョンスポーツアワー』にNHK大阪放送局のスタジオから生出演した。

履歴

関連項目

脚注

  1. ^ 第24代式守伊之助さん講演-牟礼[リンク切れ]
  2. ^ ベースボール・マガジン社発行「相撲」2014年1月号143頁
  3. ^ 朝日新聞1972年3月25日付朝刊スポーツ面





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