式守伊之助 (16代)とは? わかりやすく解説

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式守伊之助 (16代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 16:00 UTC 版)

16代式守伊之助
16th Shikimori Inosuke
基礎情報
行司名 式守亀司 → 4代式守錦之助 → 4代式守錦太夫 → 7代式守与太夫 → 16代式守伊之助年寄立田川
本名 とね かめきち
刀根 亀吉
生年月日 (1892-06-20) 1892年6月20日
没年月日 (1948-12-03) 1948年12月3日(56歳没)
出身 日本山形県山形市
所属部屋 伊勢ノ海部屋出羽海部屋
データ
現在の階級 引退
最高位 立行司(式守伊之助)
初土俵 1899年5月
幕内格 1922年春場所
三役格 1927年春場所
立行司 1932年10月
引退 1938年夏場所
引退後 年寄立田川
備考

16代 式守 伊之助(じゅうろくだい しきもり いのすけ、1892年6月20日 - 1948年12月3日)は、大相撲立行司。本名は刀根亀吉、山形県山形市出身。

伊勢ノ海部屋所属、のち出羽海部屋9代式守伊之助の弟子(のち養子)。わずか6歳で初土俵。松翁20代木村庄之助21代木村庄之助の弟弟子。

出世は兄弟子の21代庄之助よりも早かったが、行司引退も45歳と早かった。その後、年寄立田川を襲名して理事まで昇進した。1948年胃癌のため56歳で死去。

人物

22代木村庄之助著『二十二代庄之助一代記』によれば、頭脳明晰で事務能力が素晴らしく、話のわかる人物だったが、太っていて行司にはやや不向きであったようである。

また、故実などを覚えようとはせず、本来立行司の職務である土俵祭も、同じく立行司の20代庄之助(松翁)に任せ、一度も行ったことがなかったという。

履歴

参考文献

  • 泉 林八『二十二代庄之助一代記』読売新聞社〈雑誌『大相撲』連載〉(原著1961年1月1日)。 

脚注





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