幸若舞のあらすじ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 14:48 UTC 版)
以下、幸若舞の「百合若大臣」の粗筋を示す。 出生 父親は、嵯峨朝の左大臣「公満(きんみつ)」で、大和国の初瀬寺の観音に祈願して授けられた男児が後の百合若大臣である。百合若は17歳で右大臣に就任し、大納言章時(あきとき)の娘を妻に迎える。 蒙古との戦闘 百合若は、日本(博多)へ押し寄せてきた蒙古(むくり)の大軍討伐を命じられ、当地である筑紫の国司という任地を与えられる。妻は豊後国に構えた館に残す。託宣に従い、百合若は八尺五寸の鉄弓と363箭の矢を持たされる。 蒙古軍は、すでに神風に遭って唐土(もろこし)(中国大陸)に引き上げていた。百合若は船団を従えてこれを追い、ちくらが沖の海上で決戦となる。蒙古側は、麒麟国の王が青息を吹いて霧をたちこめらすが、百合若が日本の神々に祈願するとようやく霧が晴れる。百合若は矢をほとんど撃ち尽くして奮戦し、蒙古側の四大将の両蔵(りょうぞう)らを討ち取り、あるいは捕虜となし勝利をおさめる。 部下の裏切り 百合若は、玄界ガ島(玄界島?)に立寄って休息し、その大力を発揮したときの常として、まる3日間眠りこける。これに乗じて、配下の別府兄弟は、百合若は矢傷で死んだと偽り、船を引き揚げさせ、百合若を孤島に置き去りにしてしまう。別府兄弟は朝廷に戦勝を奏上し、別府太郎は、百合若が配されていた筑紫の国司の役目に任命される。 御台所と鷹の緑丸 上司の地位簒奪に収まらず、別府太郎はさらに百合若の御台所に恋愛を迫る。御台所は、宇佐神宮で千部の写経を行っている最中だとして、とりあえず返答を引き延ばす。しかし百合若がついに帰らなければ自殺すると決めているので、身の回りの琵琶や琴を整理し、飼っている犬、馬や鷹の数々を解き放つ。このとき緑丸という鷹は、玄界島まで飛んでゆき、百合若に託されて柏の葉に血で書いた文を持ち帰る。御台所は、夫の生存を知り、墨や硯などを鷹に結びつけて送り返すが、鷹はこの重さに耐えかね、死体の姿で漂着する。 宇佐神宮に、御台所が夫の生還を祈願すると、その願いがかない、壱岐の浦にいた釣り人が風で流され、玄界ガ島にいた百合若を発見して、日本の本土に送り戻す。着いた場所は博多であった。百合若のあまりの変わり果てように、誰もその正体がわからない。別府は余興としてこの奇異なる男を召し抱えることにし、門脇の翁という者に預ける。 身代わりの池 この頃、別府は御台所がなびかないので、ついに処刑すると決めていた。しかしそうはさせまいと、門脇の翁の娘が身代わりになったことを百合若は知る。 復讐 正月になり、宇佐八幡宮での初弓で、百合若は「苔丸」という名で呼ばれて矢取りの役を仰せつかる。面々の弓の技量を嘲弄した百合若は、別府に一矢射て見せよと命令される。揃えられた強弓はゆるいと言って、ついにはかの鉄の弓をもってこさせ、みごとこれを引き絞り自分は百合若であるとの名乗りを上げる。大友氏の諸卿や松浦党はかしこまり、別府太郎は降参するが許さず、百合若はこれを縛り上げさせ、手づかみで舌を引き抜き、首切りは7日かけて鋸挽きの刑に処した。 命の恩人の釣り人には壱岐と対馬国を下賜し、門脇の翁は筑紫の荘園の政所の職につけ、百合若は、京に上り将軍となった。
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