幸若舞曲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:54 UTC 版)
幸若舞曲の曽我物は以下の七点が伝わり、特に仮名本との関係性が指摘される。一方曽我物語に拠る記述だけではなく舞曲独自の志向も認められる。 曲目解説一満箱王(切兼曽我) 元服曽我 和田酒盛(和田宴) 上演の初見は『言継卿記』天文15年(1546年)3月9日条であり、その後も繰り返し上演されている。現存する諸本の多さから人気曲であることを伺わせ、本作の影響から浄瑠璃・歌舞伎等で派生作品が発生した。和田酒盛は曽我兄弟と和田義盛との盃論、五郎と朝比奈義秀の草摺引き(力比べ)等が主題で、題材は仮名本曽我物語に拠っている。五郎が兄十郎の難境を救う構成である。この草摺引きは特に人気の場面であったようで、古くは長谷川久蔵が天文20年(1551年)に清水寺に奉納したと伝わる大絵馬の他、近世には菱川師宣・大森善清・橘守国といった絵師の作品の題材となり、多くの作例が確認されている。これらの作品は、上記の久蔵奉納の大絵馬の影響を受けたものだとする指摘がある。 小袖曽我(小袖乞) 能の小袖曽我とは異なり、幸若舞曲の場合は実際に小袖が登場する。また浄瑠璃の「小袖そが」は舞曲から派生している。 剣讃嘆 文字通り剣(刀)に焦点が当てられ、兄弟は富士野・相沢原へ至る過程の箱根権現にて別当よりそれぞれ刀(兄は黒鞘巻の刀・弟は兵庫作の太刀)を授かる。別当は刀の伝来を述べる。この二振は時の帝の命により長刀が二分されたものであり、それぞれ「枕かみ」「寸なし」と名付けられ、後に寸なしは「友切」と名を改められた。その後二振は源満仲の手に渡り友切は「髭切」と、枕かみは「膝切」と名を改められ、源頼光の手に渡った。さらに髭切は「鬼切」と、膝切は「蜘蛛切」と名を改められ、源氏の嫡流の伝来を経て最終的に源義経により奉納されたとする。一方、仮名本では仇討ちに用いた刀は木曽義仲から相伝される「三宝剣」の1つ「微塵」と「赤胴作りの太刀」(奥州丸)となっている。 夜討曽我 『言継卿記』天文15年(1546年)3月9日条に上演が記される。同日「和田酒盛」も上演されている。 十番切 上演の初見は『言継卿記』天文14年(1545年)6月4日条であり、十番切の存在を示す史料の初見は「東勝寺鼠物語」(天文6年頃成立)である。
※この「幸若舞曲」の解説は、「曾我兄弟の仇討ち」の解説の一部です。
「幸若舞曲」を含む「曾我兄弟の仇討ち」の記事については、「曾我兄弟の仇討ち」の概要を参照ください。
- 幸若舞曲のページへのリンク