帝政後期とは? わかりやすく解説

帝政後期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 04:36 UTC 版)

イタリア本土 (古代ローマ)」の記事における「帝政後期」の解説

帝国の衰退により蛮族侵入帝国最重要課題となると皇帝侵入合わせて東方土地赴く機会増えるようになったコンスタンティヌス1世皇帝即位すると、コンスタンティヌス東方皇帝であったコンスタンティノープル新たな東方拠点として宣言首都ローマ市倣って元老院など幾つかの行政施設コンスタンティノープルにも設けた。しかし、当時コンスタンティヌス1世ローマ代わる新しローマ」を建設したという考え存在しなかったようである。コンスタンティヌス以降皇帝達もコンスタンティノープル常住したわけではなかったし、当初法務官護民官財務官首都長官といった重要な首都機能コンスタンティノープルには整備されていなかった(ただし財務官法務官ディオクレティアヌス時代に既に重要な職種ではなくなっていたと考えられコンスタンティノープル長官358年12月11日又は9月11日設置されとされる[要出典])。コンスタンティノープルがその重要性増した5世紀後半においてもローマ帝国全体首都ローマ市とされており、その権威東ローマ帝国首都コンスタンティノープルより上位のものとされた。 テオドシウス帝の死後東方皇帝西方皇帝対立深まり西ローマ帝国東ローマ帝国とも呼ばれる東西政治的分離発生するその中でイタリア帝国西方中心地となったが、西ローマ皇帝宮廷テトラルキアに従ってメディオラヌムのままであり、また後に宮廷移された際も帝都ローマではなくラヴェンナ選ばれた。「ノティティア・ディグニタートゥムによれば420年イタリア行政区大規模な再編行ったという。 しかし相次ぐ蛮族侵入西方皇帝有効な対処行えず、蛮族幾度もイタリアを脅かす日々続いたフン族アッティラによってイタリア北部壊滅的な打撃を受け、またヴァンダル族によって帝都ローマ略奪されるなど、3世紀の危機にもなかった戦禍イタリア襲った5世紀後半に入ると西方帝国属州はほとんど蛮族奪われ、更にイタリア皇帝後ろ盾となった蛮族によって統治される時代となっていた。 476年ロムルス・アウグストゥルス退位と、オドアケルによる西方帝位東方皇帝への返還によって西ローマ帝国からローマ皇帝地位消滅した以降オドアケル東方皇帝より「イタリア領主」の地位与えられローマ皇帝代官としてイタリア統治したオドアケルの後には東ゴート王国の王がおおむねこの地位踏襲し77年間にわたってこうした支配方法続いた553年東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世の命を受けたベリサリウス将軍によって東ゴート王国滅ぼされイタリアは再びローマ皇帝支配下へと戻った。しかしユスティニアヌス1世イタリア本国とすることはなく、「ラヴェンナ地方区」として総督による統治継続した。しかし、6世紀中にはイタリア全域ランゴバルト王国の手へと移った8世紀ランゴバルト王国滅ぼされた後は、教皇領神聖ローマ帝国・ヴァイキング・アラブ人などによる分立時代迎える。イタリアが再び一つ領域として大部分がまとめられるのは、サルデーニャ・ピエモンテ王国によるイタリア統一後のこととなる。

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帝政後期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 09:33 UTC 版)

プラエフェクトゥス・プラエトリオ」の記事における「帝政後期」の解説

ディオクレティアヌス治世になるとプラエトリアニ権限大幅に削減された。コンスタンティヌス1世時代には、プラエトリアニ解散されプラエフェクトゥス・プラエトリオ職務からも軍事的要素取り除かれた。コンスタンティヌスの死後は、ガリア・イタリア・イリュリクム・オリエンスの4つの道(行政区)の長官として、皇帝にとって信頼できる高官文官としての役割を果たすようになった

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