帝政廃止後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/29 02:06 UTC 版)
1924年よりロシアの亡命皇帝を自称していたキリル・ウラジーミロヴィチ大公は、長男のウラジーミル・ロマノフにツェサレーヴィチの称号を名乗らせていた。1997年からは、ウラジーミルの孫息子ゲオルギー・ミハイロヴィチ・ロマノフが、その母親で帝位請求者のマリヤ・ウラジーミロヴナ・ロマノヴァからツェサレーヴィチの称号を授けられた。ゲオルギー・ロマノフはこのツェサレーヴィチの称号で呼ばれることもあるが、大公の称号で呼ばれることが多い。 ロシア帝国が崩壊するまで、ロシア内外の多くの人々はロシアの支配者をツァーリと呼ぶ習慣を続けていた。ツェサレーヴィチの称号がロシア皇帝の後継者の称号として広く浸透せず、ツァレーヴィチ(ツァーリ)や大公の呼称の方が一般的なのは、このためだろうと考えられる。「ツェサレーヴィチ」の称号は、国内でも特に教養のない階層には知られていなかった。
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