川路分館とは? わかりやすく解説

川路分館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 05:03 UTC 版)

飯田市立図書館」の記事における「川路分館」の解説

川路分館は、飯田市川路2366の川路公民館1階にある。その起源1925年大正14年)に設立され図書室であるとされている。開館日時は、水曜日14時から17時まで、土曜日10時から17時までである。2017年平成29年)度の利用登録者数は194人、貸出冊数は7,466冊である。ISILはJP-1001667。 飯田市立中央図書館発行の『図書館概要によれば、川路分館の前身1925年大正14年)に下川尋常小学校(現・飯田市立川路小学校)内に設立され図書室である。しかし、1900年明治33年)には既に同校同窓会文庫設置しており、1907年明治40年発行の『信濃教育会雑誌246号』には「東宮殿下御慶事記念文庫」という名称で長野県の図書館一覧掲載されている。同書によれば当時文庫蔵書数164であった。この文庫1910年明治43年)に村内8集落をめぐる巡回文庫開始し少しずつ蔵書増やしていき、1921年大正10年)には350冊に達した。 そして1925年大正14年)、小学校の1室を借用して図書館」と称した。この時は他村同様に青年会運営する私立図書館であり、村立図書館の設置向けた運動展開されたがなかなか実現せず1942年昭和17年3月戦時体制強化のために村立川路図書館移行した図書館には挙げた後援会作られ蔵書増加を図るとともに主婦文庫設立するどしたが1945年昭和20年)に天竜川氾濫蔵書一部流失した1946年昭和21年2月長野県図書館協会加盟1949年昭和24年)には2,300冊の蔵書有し、月3回開館していた。この間1948年昭和23年)に川路村公民館設置し図書館公民館図書となったが、運営引き続き青年の手によって行われた。また連合国軍最高司令官総司令部GHQ)は軍国主義的図書廃棄と、小学校から川路村役場への移転指示した1951年昭和26年5月公民館報「かわじむら」は、「図書館の窓から」というコラム掲載し当時図書館様子として、一般利用少ないものの多い日には70 - 80人の子供が来館すること、図書館農村文化オアシスであること、図書購入予算1万円では50冊ほどしか購入できないため協力してほしいことを紹介している。翌1952年昭和27年2月公民館報は「図書館建設特集」と称し独立した図書館建設訴えた結局独立した図書館建設が行われぬまま1961年昭和36年3月31日川路村飯田市合併し村立川路図書館市立飯田図書館川路分館となる。ところが同年6月27日梅雨前線に伴う集中豪雨見舞われ天竜川氾濫し飯田市役所川路支所1階にあった川路分館はすべての蔵書水没してしまった。婦人会有志濡れた本を沢の流れ洗って干したものの、川路分館は水没図書約2,000冊をすべて廃棄する決断をした。この災害契機に、1966年昭和41年4月1日川路支所2階一角ささやかな分館設置された。1982年昭和57年3月川路公民館新築され、その中に川路分館が併設された。

※この「川路分館」の解説は、「飯田市立図書館」の解説の一部です。
「川路分館」を含む「飯田市立図書館」の記事については、「飯田市立図書館」の概要を参照ください。

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