川軍での台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/07 19:26 UTC 版)
製陶業の家庭に生まれる。当初は学問を志したが、後に軍人を志望し、1906年(光緒32年)、成都陸軍小学堂第1期に入学した。1909年(宣統元年)には南京第4陸軍中学堂に進学する。翌年に四川鉄道保護運動が勃発すると、鄧錫侯は四川に戻り、川軍第4師師長劉存厚の軍に加わった。 中華民国成立後も、鄧錫侯は引き続き劉存厚のもとで軍歴を重ねている。1915年(民国4年)12月からの護国戦争(第三革命)では勇敢な戦いぶりで軍功をあげ、護国軍の蔡鍔から賞賛を受けている。その後も劉に帰属し、1917年(民国6年)には旅長に昇進した。しかし翌年2月に劉が熊克武に敗北して陝西省南部に撤退した際には、鄧は劉の北京政府寄りの政治姿勢に反発していたこともあって、これに従わなかった。熊が川軍総司令になるとともに、鄧は第2師師長に任命された。
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