山陰地方の四隅突出型墳丘墓
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「四隅突出型墳丘墓」の記事における「山陰地方の四隅突出型墳丘墓」の解説
広島県三次市周辺の9基、岡山県津山市周辺2基、島根県の東部19基(石見山間地1基含む)、鳥取県6基、石川県1基、富山県1基で計38基が知られている。また県別分布では総数103基で、島根県39基(邑南町1/隠岐の島西町1/出雲市11/松江市15/東出雲市1/安来市10)、鳥取県28基(米子市11/伯耆町2/大山町7/倉吉市5/湯梨浜町1/鳥取市2)、福井県3基(福井市3)、石川県1基(白山市1)、富山県10基(富山市10)、広島県17基(三次市12/庄原市3/北広島町2)、岡山県1基(鏡野町1)、兵庫県2基(加西市1/小野市1)、福島県2基(喜多方市2)ともする。 最初に確認された四隅突出型方墳は、島根県邑南町瑞穂の順庵原(じゅんなんばら)一号墳であり、1969年(昭和44年)に確認された。北陸地方では1974年(昭和49年)に富山市杉谷の杉谷4号墳が確認されたのが最初である。 最も発展した時期の様相は、例えば、島根県安来市荒島地域にある仲仙寺(ちゅうせんじ)8・9号墓(国の史跡、十数個の碧玉製管玉が出土)、宮山4号墓(鉄刀が出土)、安養寺1・3号墓などに副葬品や小石から貼り石への構造の変化に発展系列がみられ、古墳時代を先取りした高度な土木技術が用いられている。 3世紀前後の時期では、島根県出雲市の大型墓西谷3号墓(最長辺約50メートル)・2号墓・4号墓・9号墓、小型墓として青木・中野美保・西谷1号・6号墓と前述した安来市の荒島墳墓群(宮山、仲仙寺、大型として塩津山6・10号墓、小型墓としてカワカツ墓)や鳥取県の西桂見墳丘墓が代表的大型墳丘墓である。大型墓は限られた丘陵などに累代的に築造されている。これらの大型墓の被葬者は、限られた地域を支配したのではなく、その平野周辺に影響力を及ぼしたものと推測される。このように弥生後期には出雲の西と東に大きな政治勢力が形成されたものと考えられている。また、大規模な墳丘墓と吉備の楯築墳丘墓がほぼ同時期に存在したと推測されている。そして、西谷3号墳丘墓の埋葬施設が楯築墳丘墓のそれと同じような構造の木槨墓であり、埋葬後の儀礼に用いた土器の中に吉備の特殊器台・特殊壺や山陰東部や北陸南部からの器台・高坏などが大量に混入していた。 山陰の四隅突出型は、突出部に1メートルほどの石を使っているものがあるが、北陸の四隅突出型は石を使っていない。四隅突出型が似ているということは、山陰地方東部から北陸地方南部にかけての首長の間に強い結びつきがあり、政治的勢力の同盟関係があったのではないかと推測できる。さらに、吉備の場合も同様なことが考えられる。 これら、山陰の四隅突出墳丘墓は古墳時代になると西谷墳墓群の繁栄は止まり、東部の安来では古墳時代の最初の巨大方墳として発達してゆく、この地域の首長の繁栄は、奈良時代前期まで続いたと考えられている。
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