尚質の頒封とは? わかりやすく解説

尚質の頒封

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 02:49 UTC 版)

琉球の朝貢と冊封の歴史」の記事における「尚質の頒封」の解説

1654年7月、清は尚質冊封正式に決定した冊封形式冊封使琉球出向く頒封で行うこととし正使張学礼、副使王垓が任命され、謝必振と馬宗毅、蔡祚隆らとともに北京出発した明から清への王朝交代期、社会混乱する中で琉球など外国からの使節滞在する施設多く痛み進んでいた。1653年から清は外国使節滞在施設である北京会同館の修復始めていた。発足間もない清としては政権安定化資する判断して琉球始めとする各国との関係構築急いでいた。 冊封使1655年3月福州到着する。しかしそこで問題発生した冊封使琉球渡航用の船が調達できず、しかも福建周辺鄭成功の反清活動活発化し、鄭成功勢力制海権握っていたために渡海出来ない状況続いたのである。清は1656年海禁強化する命令出し1661年には遷海令を出すなど鄭氏勢力鎮圧躍起となったその中で1659年3月順治帝了承得て冊封正使張学礼、副使王垓はいったん任務解かれ転職した。これは明代続いた領封と頒封との議論蒸し返されたものだと考えられている。費用がかさみ、その上、海を越えていくリスクも高い頒封をあえて行うことの是非問われのである。しかも今回琉球側も頒封に消極的であることは明らかであった1659年時点では頒封消極派が有力となり、その結果として尚質冊封使はいったん解任された。 琉球側は1653年送り出した慶賀使の馬宗毅、蔡祚隆たちの消息を知るために、しばしば清に使節派遣した。しかし馬宗毅らを引き取って琉球帰ることは認められなかった。これは事実上人質扱いであり、このよう中で1659年6月、馬宗毅は福州病死する1661年1月順治帝亡くなり康熙帝跡を継ぐこの年、明の残存勢力南明)で最後まで残った永暦帝身柄を清が確保した。またこの年からは清の攻勢から体勢立て直すため、鄭成功台湾へ攻撃本格化させていた。このように清への代替わり流れが強まる中で琉球を巡る情勢変化見えて来た。清は改め尚質冊封冊封使琉球赴いて行う、頒封で行う決定下した1662年、いったん冊封使解任されていた正使張学礼、副使王垓は冊封使再任され、琉球派遣されることになった康熙帝の名で尚質出され勅書では、福建地方役人正使張学礼、副使王垓のサボタージュ結果順治帝派遣決定した冊封使任務果たされないままとなってしまった。ここに事態把握したため、関係者の処分行い正使張学礼、副使王垓には罪を償わせる意味も含め改め冊封使としての任務完遂命じたと、冊封遅れたことを弁明し改め冊封使を送る旨を説明していた。 1663年5月冊封使正使張学礼、副使王垓は1653年派遣され慶賀使の蔡祚隆、そして通訳の謝必振とともに福州発ち琉球向かった。船は6月無事に那覇港到着した冊封使の来琉に琉球側は驚愕する。冊封に際してはまず、琉球側から冊封要請する請封が行われる。そして冊封使派遣前年には冊封使出迎えるための迎封使(接封使)を琉球側が派遣することになっている今回は請封そのものが行われていなかった上に、清側から冊封使派遣についての事前連絡無かった。当然、迎封使(接封使)を派遣していなかった等、冊封使迎え事前準備が全くなされておらず、その上1660年には首里城焼失して再建されていなかった。琉球側としては悪条件重なった冊封使の来琉であったが、琉球側の事情精通した謝必振の尽力もあって、1663年7月無事に尚質琉球国王冊封する儀式執り行われた。また懸念され弁髪など清の習慣冊封使強要する事態起こらず尚質明の時代変わりない皮弁冠服で儀式に臨むことが出来た。 なお清明代とは異なり服制弁髪琉球など冊封国押し付けよとしなかったのは、清の領内では服制弁髪強制するのに対し領域外ではそれらの習俗押し付け避けることによって、風俗習慣面からも清の領域明確化する意図よるもの考えられている。そもそも清は明と比べて周辺諸国対す朝貢促し緩く朝貢国の数も明代比べて激減した

※この「尚質の頒封」の解説は、「琉球の朝貢と冊封の歴史」の解説の一部です。
「尚質の頒封」を含む「琉球の朝貢と冊封の歴史」の記事については、「琉球の朝貢と冊封の歴史」の概要を参照ください。

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