小説家・テレビタレントとして
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「安部譲二」の記事における「小説家・テレビタレントとして」の解説
1983年から小説を書き始めた。著書を出してくれる出版社が見つからなかったが、1984年に山本夏彦に文才を見出され、雑誌『室内』に刑務所服役中の体験記『府中木工場の面々』の連載を開始した。文筆家としての道を歩むきっかけになった山本との出会いに関しては、著書等で事あるごとに「山本先生は自分の恩師、大恩人である」と触れている。 1987年に連載がまとめられ、『塀の中の懲りない面々』として文藝春秋より出版された。『塀の中の懲りない面々』はベストセラーとなり映画化もされ、以後人気作家としての地位を築いた。情報帯番組『追跡』(日本テレビ系)の金曜レギュラーを皮切りにテレビやラジオに数多く出演し、タレントとしても活動した。なお、『追跡』司会の青島幸男を深く敬愛しており、青島の東京都知事選出馬時も支持している。 人気作家になったが、バブル景気崩壊で負債を抱え妻の遠藤瓔子とも離婚し、借金の形や慰謝料として大半の財産と一緒に愛車のポルシェも持っていかれた代わりに、安価なオートザム・レビューを渋々購入したが、実用性が高く気に入っていると後にNAVI誌上で評した。都内某ディーラーにて新車購入の際、購入した車の値引の代わりに、CMキャラクターだった小泉今日子を「4人ばっか乗っけて持ってきてくれ」と発言し、担当営業と営業所長を困らせたことがある。本人曰く「4人なんてありえねぇんだから、等身大の看板でも乗っけてくりゃ笑えたのに」としている。 漫画作品の原作にも携わり、2005年には『RAINBOW-二舎六房の七人-』で第51回小学館漫画賞一般部門を受賞した。2005年頃より、新聞などに掲載される禁煙グッズの広告に登場。「私は楽して煙草をやめました」として大々的に広告されているが、本人は煙草をやめていないことを自身のブログなどで告白している。 また、選挙ではいつも日本共産党に投票していたが、2009年の第45回衆議院議員総選挙では民主党に投票し、後悔しているとも述べている。日本社会党、日本共産党の支持を受け、庶民派の東京都知事として在任中であった美濃部亮吉が、高級ホテルとして知られるホテルオークラで朝食を摂っているのを目撃した安部は、美濃部と一悶着起こしたと自著にて記している。 2000年代以降は執筆にはパソコンを使用し、ときおり2ちゃんねるやウィキペディアを見ていることを明らかにしている。2019年9月2日、急性肺炎で死去した。
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