小説家の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 14:53 UTC 版)
「ジョルジュ・シムノン」の記事における「小説家の背景」の解説
1919年1月、15歳のシムノンは、リエージュ新聞に職を見つける。ジョセフ・デマルトーが編集していた新聞であった。シムノンが担当していたのは取るに足らない三面記事だけだったが、それがためにかえって街のいかがわしい面を探求することが可能になったのだった。政治、酒場、値段の安いホテルといったものに加え、犯罪、警察の調査、そして警察の技術について犯罪学者であるエドモンド・ロカールが話してくれる講義、こうしたものが彼の興味の対象となった。さらにシムノンは、この新聞社での経験から、素早く編集する技術を学んだのである。実際、シムノンは、「G.Sim」のペンネームで150本以上の記事を書いている。 シムノンの処女作である「『アルシュ橋で』(Au Pont des Arches)」は1919年6月に書かれたもので、1921年に「G.Sim」のペンネームで出版された。「Monsieur Le Coq」の名前でも、1919年11月から1922年12月までの間に800篇ものおかしさのある作品を発表している。 この期間に、シムノンの夜遊び、すなわち、売春婦、飲んだくれること、どんちゃん騒ぎ、こうしたことは増えていった。シムノンと交際のあった人達の中には、無政府主義者、自由奔放な生活を送る芸術家達、さらには将来殺人を犯すことになる人物二人、といった人達がいた。この二人の殺人者は、「我が友人達の三つの犯罪(Les Trois crimes de mes amis.)」の中に登場する。またシムノンは、「ニシン樽(La Caque)」として知られる芸術家集団とも交流があった。彼自身がこの集団のメンバーに実際になったわけではなかったが、この集団を通じて将来妻となるレジーヌ・ランションと出会うのである。 1978年にシムノンが語った所によれば、1919年にジョルジェット・ルブランがベルギーで、『ベルギーの詩人たち』という演奏兼講演ツアーを行った際、リエージュでの催しにシムノンも観客に加わった。メーテルリンクの歌曲演奏に感激した彼は、パリで文学の道に進もうと、彼女と同じ列車に乗ろうとしたが、友人によって家に連れ戻された。まだその時には彼女がモーリス・ルブランの妹とは知らなかったという。
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