小原発電所とは? わかりやすく解説

小原ダム (富山県)

(小原発電所 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/06 07:22 UTC 版)

小原ダム
左岸所在地 富山県南砺市大字葎島字開地
位置
河川 庄川水系庄川
ダム諸元
ダム型式 重力式コンクリートダム
堤高 52 m
堤頂長 158.2 m
堤体積 93,000
流域面積 814.5 km²
湛水面積 56 ha
総貯水容量 11,741,000 m³
有効貯水容量 5,099,000 m³
利用目的 発電
事業主体 関西電力
電気事業者 関西電力
発電所名
(認可出力)
小原発電所 (45,700kW)
新小原発電所 (45,000kW)
施工業者 佐藤工業
着手年/竣工年 1939年/1942年
出典 [1]
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小原ダム(おはらダム)は、富山県南砺市一級河川庄川水系庄川に建設されたダム。高さ52メートルの重力式コンクリートダムで、関西電力発電用ダムである。同社の水力発電所・小原発電所・新小原発電所に送し、合計最大9万700キロワットの電力を発生する。

歴史

1930年(昭和5年)、岐阜県から富山県へと流れる庄川で建設が進められてきた小牧発電所および祖山発電所が運転を開始した[2][3]。いずれも大規模なダムを伴う水力発電所であり、前者は庄川水力電気、後者は昭和電力の所有するものであった[4]1939年(昭和14年)、電気事業の国家管理化を進める日本政府によって日本発送電が設立されると、小牧発電所や祖山発電所を含む多くの庄川水系の水力発電所は日本発送電に引き継がれた[4]。同年、日本発送電は小原発電所の建設に着手[5]祖山ダムの上流に小原ダムを建設し、ダム直下右岸の小原発電所で最大4万5,000キロワット[5](現在は4万5,700キロワット[6])の電力を発生するものである。小原発電所は1942年(昭和17年)に運転を開始した[6]。その後、日本発送電は小原ダムの上流において成出ダム・成出発電所の建設に着手するものの、完成を待たずして日本発送電は1951年(昭和26年)に分割民営化。小原発電所始めとする庄川の水力発電所は関西電力に継承され、同社の手によって成出ダムのほか、上流の椿原ダム鳩谷ダム1950年代中に完成している。

1961年(昭和36年)、電源開発によって建設されてきた御母衣ダム・御母衣発電所が完成[7]。関西電力は1967年(昭和42年)、祖山ダムに新祖山発電所を増設したのに続き[8]、成出ダムや椿原ダムにおいてもそれぞれ新成出発電所・新椿原発電所を増設した[9][10]。小原ダムと成出ダムとの間には新たに赤尾ダムを建設し、赤尾発電所を1978年(昭和53年)に運転開始[11]。小原ダムにおいても新小原発電所(4万5,000キロワット)の増設が進められ、1980年(昭和55年)に運転を開始した[12]

周辺

東海北陸自動車道五箇山インターチェンジから国道156号を北上。合掌造り家々が建ち並ぶ世界遺産五箇山集落を過ぎると、小原ダムに至る。ダムのすぐ下流に架かるの上から、ダムを真正面に望むことができる。ダム右岸にある建物が小原発電所で、内部に立軸フランシス水車発電機が3台設置されている[6]。その橋のたもとには新小原発電所があり、内部に立軸フランシス水車発電機が1台設置されている[12]。出力はほぼ同等な小原・新小原発電所であるが、使用水量は小原発電所が140立方メートル毎秒[6]であるのに対し、新小原発電所では100立方メートル[12]で済んでしまう。新小原発電所は発電に使用した水を長さ1.4キロメートル余りの放水路を通じて下流の湯出島橋下に放流することで、小原発電所よりも大きい有効落差(小原発電所が39.2メートル[6]なのに対し、新小原発電所は52.6メートル[12])を確保しているためである。

脚注

  1. ^ 電気事業者・発電所名(認可出力)については「水力発電所データベース[1][2]」、その他は「ダム便覧」による(2011年1月10日閲覧)。
  2. ^ 水力発電所データベース 小牧発電所」(2008年3月31日入力、2011年1月10日閲覧)より。
  3. ^ 水力発電所データベース 祖山発電所」(2008年3月31日入力、2011年1月10日閲覧)より。
  4. ^ a b 『北陸地方電気事業百年史』796 - 797ページ。
  5. ^ a b 『北陸地方電気事業百年史』344ページ。
  6. ^ a b c d e 水力発電所データベース 小原発電所」(2008年3月31日入力、2011年1月7日閲覧)より。
  7. ^ 水力発電所データベース 御母衣発電所」(2008年3月31日入力、2011年1月7日閲覧)より。
  8. ^ 水力発電所データベース 新祖山発電所」(2008年3月31日入力、2011年1月7日閲覧)より。
  9. ^ 水力発電所データベース 新成出発電所」(2008年3月31日入力、2011年1月7日閲覧)より。
  10. ^ 水力発電所データベース 新椿原発電所」(2008年3月31日入力、2011年1月7日閲覧)より。
  11. ^ 水力発電所データベース 赤尾発電所」(2008年3月31日入力、2011年1月7日閲覧)より。
  12. ^ a b c d 水力発電所データベース 新小原発電所」(2008年3月31日入力、2011年1月7日閲覧)より。

参考文献

  • 北陸地方電気事業百年史編纂委員会編『北陸地方電気事業百年史』北陸電力1998年

関連項目

外部リンク


小原発電所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:23 UTC 版)

名古屋電灯」の記事における「小原発電所」の解説

位置北緯3512分5.3秒 東経13717分56.8秒 / 北緯35.201472度 東経137.299111度 / 35.201472; 137.299111 (川下発電所) 名古屋電灯最初水力発電所は小原発電所といい、元は東海電気(旧・三河電力)が建設したのである矢作川支流田代川利用する発電所で、1901年3月着工1902年明治35年7月竣工9月より瀬戸町(現・瀬戸市)への送電始めた所在地愛知県西加茂郡小原村大字川下(現・豊田市川下町)。 発電所出力は200kWで、設備ペルトン水車会社ペルトン水車明電舎製100kW交流発電機三相交流3,450ボルト周波数60ヘルツ)各2台の組み合わせであった1914年大正3年8月より瀬戸へも八百津発電所から送電するようになったため発電休止その後需要増加一時再稼働するも1917年上期には発電を再停止しそのまま1919年大正8年12月に69000円で岡崎電灯売却された。現・中部電力川下発電所

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