宝冠(女性天皇)
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女性天皇(女帝)の冠は、宝冠と呼ばれた。冕冠の一種と考えて良いのか、もしくは別種の冠とみるかは意見が分かれる。 宝冠には天冠の上に冕板やそれに類する金属枠がなく、従って冕板から垂れる旒もない。他に冕冠と異なるのは、冠前面に取り付けられた鳳凰である。また、両耳部と鳳凰の嘴からは草花をあしらったような飾りが垂下した。しかし、頭頂部には冕冠と同じ日章の飾りが立てられており、八咫烏や瑞雲の意匠も同じである。冠には、笄(こうがい)、夾形、小元結が附属する。 後桜町天皇が1763年(宝暦13年)の即位式で用いた宝冠が御物として現存している。 1888年(明治21年)に女性へ授与する勲章として制定された宝冠章はこれにちなんだもので、その正章中央には宝冠の図があしらわれている。
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宝冠
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「東大寺不空羂索観音立像」の記事における「宝冠」の解説
頭上にある宝冠は銀製鍍金で、高さは88センチメートルあり、ガラス玉、ヒスイ、琥珀、真珠、水晶などの貴石で荘厳されている。。重さは約11キログラムあり、冠の正面中央には銀製の阿弥陀如来化仏を付け、そこから光条が広がっている。全体が籠を組んだように見える形状であり、「籠組式宝冠」と表現される。周囲を銀の板と銀金具(唐草模様が透かし彫りにされている)で飾っている。この冠はその豪華さから「世界三大宝冠」の1つに数えられている。1900年(明治33年)、法華堂内に櫓を組んで熟覧したところ、2万6・7000個の玉類があると数えられたが、2012-13年に像から外された宝冠を撮影調査したところ、現存数1万1千個弱とされた。 坂詰秀一は宝冠について「それに華美な装飾を施すという例はほかにありません」と発言した。森浩一も金の冠や金銅の冠は朝鮮半島南部(新羅、伽耶)と日本の古墳から発見されているが、日本の古墳から見つかる冠には玉(特に勾玉など)をぶら下げる例は見られないとした。逆に新羅や伽耶の古墳から出る支配者層の冠には、多くの勾玉をぶら下げている。日本の古墳にヒスイが副葬されなくなった時期に、不空羂索観音像の宝冠が登場してきている。坂詰は宝冠に飾られたヒスイ製勾玉はすべて伝世品と考え、「個人で勾玉が必要なくなったのではないか」と述べた。坂詰は古来からこの件についての解釈がいろいろあることを紹介し、彼自身の考えとして東大寺の大仏を造立した聖武天皇と光明皇后の力が大きいと述べている。坂詰は立像についても「新羅の影響を受けている」点を指摘し、李殷昌(暁星女子大学校名誉教授、韓国文化部文化財専門委員)は宝冠の写真を見た上で「新羅の系統」と発言した。 日本では縄文時代前期後葉(約7000年前)からヒスイの利用が始まり、やがて威信財として尊ばれるようになった。しかし、原産地である糸魚川では、古墳時代(6世紀初頭)にヒスイ製の勾玉づくりが終了した。この宝冠は、日本での最後のヒスイ使用例となる。
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