宝冠の森
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 20:05 UTC 版)
玉置山周辺で、峯中路から外れているにもかかわらず今日まで、大峯奥駈行における拝礼が続けられている宝冠の森(ほうかんのもり)という行所がある。玉置山から派生する主たる尾根はX字状に4本あって大峯奥駈道は東北と南西に伸びる尾根筋を通るが、これとは別に玉置山山頂から南東方向に派生する尾根上を約1.5キロメートル行ったところにある、尾根の第3のピークが宝冠の森である。宝冠の森のある標高940メートル地点までの尾根筋には、1064メートルおよび1057メートルの2つのピークがあり、ピークとピークとの間の痩せ尾根には、結界守護の護法を祀る祭壇と見られる人工的な石組による集石が確認されている。また、1057メートルのピーク上には礼拝石を伴う石組みが認められ、遠方の行所を遥拝する華立(はなたて)と考えられているなど、廻峯行の遺跡が数ヶ所存在している。最後のピークを越えると、正面に自然林に覆われた岩峰があり、その頂上一帯が宝冠の森である。 宝冠の森の頂上一帯、すなわち人に犯されたことのない結界内の森林によって構成されたピークは、権現垂迹の聖地としての「杜」の様相を示しているが、こうした例は対馬白嶽山や英彦山など、紀伊半島南部以西の照葉樹林帯で広範に見られるものである。頂上の平坦部には護摩焚岩として用いられたと見られる祭壇があり、その奥の一段高い部分には磐座があって、石躰が据えられている。石躰が権現垂迹の拠り代としての意味を持つことを考慮すると、宝冠の森頂上部のこうした配置は、石躰を中心とした磐座群を自然林が取り囲む聖域としての「杜」であったと解される。こうした解釈はいくつかの史料によって裏付けられ、鎌倉時代のものとされる『諸山縁起』は宝冠の森に相当する峯を大毘盧遮那嶽と呼び、『玉置山権現縁起』の第七段「大毘盧遮那嶽」では「宝冠峯」「中台峯」という別称を紹介するとともに、こうした名称の由来を行基が『大日経』、大日如来像、旗2旒を奉納した故事に求め、玉置山を大日宿と呼ぶとしている。こうした点から、宝冠の森とは、宝冠を戴く胎蔵界大日如来が垂迹する聖地なのである。
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