女性器研究者
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1995年(平成7年)に日本で初めて世界性科学学会が開催された。平成初期の1990年代に女性器研究が盛んになった頃、笠井寛司は『日本女性の外性器の統計学的形態論』をフリープレス社から出版した。この女性器事典は日本人女性8530人の外性器を30年の長い期間にかけて観察して大量撮影した書物である。陰核(クリトリス)の形や陰毛(ヘアヌード姿になった女性のヘアの生え方)や陰毛の濃さや女性器の形式や膣など女性器内の色、小陰唇・大陰唇の形や大きさや生え方や膣入口の位置などを女性の年齢・出産経験・女性の性体験・女性の体重・女性の身長などの細かいデーターで比較して、さらに肌に色と色素沈着の度合いなどの相関関係を解明した女性器事典である。豊富な資料写真と独自の研究は、海外の研究者から高い評価を受けた。 しかし、女性器の資料写真が滋賀県大津市周辺の8000人以上の女性の女性器画像を盗撮したわいせつ物の猥褻文書販売に当たるとして関西地方の市民団体が検察に告発状を提出した(のちに不起訴処分。検察審査会が不起訴処分不当と議決するも再度の審査の結果不起訴処分)となるなど女性器事典が世間に知られて一部の人権団体や女性運動家との軋轢が生じた。さらに女性器研究で撮影された女性器写真が無断に撮影された猥褻画像で女性患者の同意がない盗撮に当たる行為として、女性患者の女性器が大量に撮影されて女性の尊厳を傷つけたとしてと抗議された。社団法人自由人権協会が『笠井元助教授は、産婦人科の患者として来院した女性の外性器を無断撮影し、かつその同意を得ることなく、その女性器の写真をおよそ医学的な学術書とはいえないワイセツな内容で国内外に出版したことにより、医師との信頼関係で構築される信用できる婦人科医療を求める一般女性を不安に陥れた。女性器の無断撮影による盗撮行為で女性の尊厳を傷つけた。よって笠井元助教授はそのことを率直に反省し、責任を明らかにすべきである』とする厳しい非難声明を発表した。それに対し、笠井は医学上重要だと反論していた。 1996年(平成8年)に滋賀医科大学から訓告処分を受け、その後大学を依願退職して性科学者として活動した。2002年(平成14年)2月2日に食道動脈破裂で急死した。享年69。 1990年(平成2年)から第10回日本性科学学会の学会長をつとめた。組織内分泌学の研究をする生物学・老化・医学関係の女性器研究以外に哲学・ジェンダーなどの様々な観点から女性の女性器研究を行った。女性の男性との性経験の統計など男女の性行動の実態を調査して、『女性器とは何か』の性の問題について徹底的に追及した。
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