失踪騒動と将棋連盟退会とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 失踪騒動と将棋連盟退会の意味・解説 

失踪騒動と将棋連盟退会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 13:40 UTC 版)

林葉直子」の記事における「失踪騒動と将棋連盟退会」の解説

1994年5月29日は「心身ともに疲労感じ極限状態にあるのですべての活動停止ししばらく休養したい、保持していた倉敷藤花タイトル返上した上で棋士として処遇理事会決定に従う」という旨の休養願いを、理事勝浦修通じて日本将棋連盟理事会提出し姿を消した6月1日理事会功績考慮し特例としてこれを受理。しかし、既にスケジューリングされている対局扱いについて話し合う必要があるにもかかわらずとの連絡取れなかったため、行方不明として中途半端な状態が続いた6月9日10日対局現われなかったことで、6月11日新聞・雑誌テレビワイドショーなどで失踪した一斉に報じられた。実際にはこの時にロンドンへ行っていたのだが、様々なボタンの掛け違いで、海外での休養失踪騒動として独り歩きしてしまった。河内家菊水丸ラジオドバイ目撃した主張したり(本人インタビュー否定)、中にはサティヤ・サイ・ババ会いインド行っているというデマまで流れた6月下旬アイルランド滞在していた国際電話連絡を受け日本騒動になっていることを初め知り急遽理事会担当者連絡し詫び状提出し早期復帰約束した。しかし、月刊誌マルコポーロ』が7月上旬アイルランド接触し連盟頭越し独占手記掲載したことで、理事会態度硬化させた。理事中には強硬に除名主張する者もいたという。 その後7月18日イギリスから帰国将棋連盟から3か月間の出場停止7つ対局すべて不戦敗)、その期間の公的活動の停止と約150万円損害金支払いなどの処分受けた。そして7月20日釈明記者会見行った11月からの第2期大山名人杯倉敷藤花戦番勝負復帰するものの、精彩欠き挑戦者清水市代連敗してタイトル失った。 翌1995年8月24日突如として日本将棋連盟理事会退会届を提出、これが受理され将棋界を去ることとなった段位女流五段で、最後対局8月8日第22期女流名人位戦B級5回戦山田久美であった退会理由は「将棋嫌いになったわけではないが、情熱冷めた」ためとしている。退会記者会見をしたその夜新宿料理店行われていた羽生善治六冠と畠田理恵婚約祝いの席へ駆けつけた。 引退後しばらくは「千駄ヶ谷近辺には行きたくない」と語り将棋の盤駒や新聞将棋などは見ないようにしていたという。

※この「失踪騒動と将棋連盟退会」の解説は、「林葉直子」の解説の一部です。
「失踪騒動と将棋連盟退会」を含む「林葉直子」の記事については、「林葉直子」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「失踪騒動と将棋連盟退会」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「失踪騒動と将棋連盟退会」の関連用語

失踪騒動と将棋連盟退会のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



失踪騒動と将棋連盟退会のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの林葉直子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS