太陽にほえろ!のエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 15:58 UTC 版)
「竜雷太」の記事における「太陽にほえろ!のエピソード」の解説
石原裕次郎は当初『太陽にほえろ!』をワンクール、十三本ほどで終わるものと思っていた。岡田晋吉は、日本テレビやスポンサーには一年は続けると約束していたので、成城の自宅に出向き必死に頼んだが、映画で育ち、映画で国民的スターになった石原は渋っていた。「やっぱり映画だよ。」と言っていた石原が翻意したのは、酒が飲めない岡田の代わりに竜が朝まで飲み明かして「これからはテレビの時代です。」「テレビには長く出続けないと意味がない。」と進言して口説き落としたことによるという。石原が降板とならなかったのは、竜雷太のおかげであると断言してもいいと岡田は証言している。竜は高校・大学時代、石原にあこがれて、同じ32インチのパンツを引きずってはいていた。 熱血漢で正義感溢れる「ゴリさん」の役柄そのままに、撮影現場の心得がわからない新人刑事に抜擢された俳優に対して、私生活では腰が低く、撮影所に来たら先ず全員に挨拶し、画面に出たら胸を張って演技に臨むという気持ちの切り替えを含め、細かく的確な指導をした。それは、自らが無名の俳優からドラマの主役に抜擢された体験に裏打ちされた説得力あるもので、若い俳優が失敗すると、「長い目で見てやって下さい。奴は一生懸命なんですから。」とスタッフに頭を下げていた。 マカロニ刑事を演じた萩原健一は声が裏返ってセリフが聞き取れないことが多いので、竜が萩原の言葉を聞き返すセリフを言ってカバーしていた。ジーパン刑事を演じた松田優作のセリフが聞き取れないときも同様の対応をしていた。 勝野洋が最初セリフが言えなかった時は撮影を中断させてスタジオの外で指導した。演技のことはほとんど何も分からなかった勝野を指導したのは、劇中で先輩刑事・通称「ゴリさん」を演じた竜雷太だった。 宮内淳がボクシングをするシーンで、新人のため遠慮して相手の役者を思い切り殴れない時は、リングにあがり、自分の顔を宮内に打たせながらボクシングの演じ方を教えた。終わった時、竜の顔は腫れ上がっていたという。 降板直前のカナダロケでは、後輩刑事を正座させて説教し、厳しく指導した渡辺徹には、うるさかった竜が殉職したから、そんなに太ったんだろうとよく言うという。 「ゴリさん」のアクションは、柔道を主体にしたアクションが多かった。それは力強くダイナミックで、「ゴリさん」の真っすぐな人格そのままのイメージを意識したアクションを表現したという。 放送開始から6年目の1978年頃に「同じ役をやっていると何かもう一つ脱皮したい」と思うようになり、岡田晋吉に「魚河岸で働いてみたいから出番を減らしてくれ。」と申し入れた。1980年頃には「若手も着実に育ってきたし、もう俺は必要なんだろうか」と思うようになって降板を申し入れていたが、その直前に竜と同じく第1回から出演してきた殿下こと島刑事役の小野寺昭の降板が既に決まっていたため慰留された。その際には降板について一切口外していなかった小野寺に対し竜が「お前、辞めるんだって?」と訊いて仰天させた。 最初の慰留から降板までの2年間は集大成として、『太陽』以外の仕事をあまり入れなかった。 最初に慰留された際「あと2年やろう」と言われたが、その2年後にロッキーこと岩城刑事役の木之元亮と長さんこと野崎刑事役の下川辰平の降板が重なったため、再度慰留される羽目になった。しかし竜は固辞したため2人の降板からわずか1か月で卒業することが決まった。 最終出演回の第525話「石塚刑事殉職」は番組史上初めてスペシャル版(90分)で制作され、またボス役の石原裕次郎が最初で最後の臨終シーンに立ち会うなど、竜の長年の労をねぎらった感謝の演出が行われた。 第525話のクランクアップ後、竜が使用していたMGC トルーパー4インチが記念品としてスタッフから贈られた。しかも「射撃の名人だが、普段は拳銃に弾をこめず、事件の時に1発だけ弾が込めてある」という役柄そのままの演出がなされていた。 竜は「殉職は僕にとっての卒業のようなものでしたから、ボスにはうれしく卒業します、と言いました。私の殉職シーンだけボスが付き添って、みとってくれたことは私の自慢です。本当にうれしかったです。もちろん、岡田プロデューサーをはじめとした方が、どういう殉職にするか決めるわけですが、ボスが芝居で気持ちを見せてくれたのかもしれません」と語った。
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