大衆文学の勃興とは? わかりやすく解説

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大衆文学の勃興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 16:19 UTC 版)

大衆小説」の記事における「大衆文学の勃興」の解説

1913年大正2年)には中里介山が『都新聞』に『大菩薩峠』の連載始めニヒル主人公机竜之助など、従来時代ものにはなかった独創性1921年頃から爆発的な人気獲得する関東大震災前後からはマスメディア発達により、『キング』『週刊朝日』といった大衆雑誌創刊され人気集めるなど、雑誌新聞連載する小説求められるようになり、大佛次郎吉川英治直木三十五など多く大衆作家登場する1924年大正13年)に菊池寛創作小説講談中間である「読物文芸」を提唱し長谷川伸らの作品による「読物文芸叢書」を発刊する。またこの年から白井喬二が『富士に立つ影連載始め、これらの作品マスコミから「大衆文芸」と呼ばれるうになる白井は翌1925年大衆作家による二十一日会を結成し同人による月刊雑誌大衆文芸』を1926年1月から翌年7月までを発行した。この二十一日会には小酒井不木江戸川乱歩など探偵小説作家加わっていた。 一方で大正中期新聞婦人雑誌娯楽雑誌などの大量出版物掲載され現代ものの小説も、文芸雑誌掲載される純文学作品とは作者読者とも大きく分かれ、「通俗小説」と呼ばれた1918年久米正雄螢草』、1920年菊池寛真珠夫人』などの新聞小説書かれ大衆支持を受け、続いて純文学出身中村武羅夫久米正雄加藤武雄や、吉屋信子小島政二郎などの通俗作家輩出した純文学ゆきづまり一方でプラトン社の『女性』や『苦楽』は文学大衆接点意識した作りになり、雑誌日本一』誌で性欲文学特集されたり、『国粋』誌でも三上於菟吉など大衆性意識した作家寄稿していた。 また久米正雄の「『戦争と平和』も『罪と罰』も『ポヴアリイ夫人』も高級は高級だ要する偉大な通俗小説だ」 (久米正雄私小説心境小説1925年1月)という言葉のように、トルストイドストエフスキー純文学系の作家達からは通俗小説同種のものと見なされていた。大正末から昭和初期にかけては、純文学系の佐藤春夫山本有三広津和郎岸田國士らが新聞小説執筆するようになった1927年には平凡社円本現代大衆文学全集』を出版開始し白井企画中心として参加し第1回配本白井喬二新撰組」は初版だけで33部というヒットとなった白井大衆文学観は、「ひろく一般民衆解放され文学」であり、「娯楽文芸」とは異なり、「「文芸至上主義」と合致する本格文学」の境地」を目指す意識により、「決し通俗文学ではない」(「正道大衆文学観」)というものだった

※この「大衆文学の勃興」の解説は、「大衆小説」の解説の一部です。
「大衆文学の勃興」を含む「大衆小説」の記事については、「大衆小説」の概要を参照ください。

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