大衆文学研究とは? わかりやすく解説

大衆文学研究

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 16:19 UTC 版)

大衆小説」の記事における「大衆文学研究」の解説

日夏耿之介は「明治煽情文芸概論」で、大衆文学(ポピュラー・リテラチュア)に「民衆的なるもの」「民情媚態呈したもの」の二様があると述べその分類を冒険小説探偵小説伝奇小説家庭小説政治小説としてみせた。木村毅大衆文学ジャーナリズム』(1931)、『大衆文学十六講』(1933)、千葉亀雄中谷博早稲田精神』(1940)、伊集院斉大衆文学論』(1942)などの研究書現れ1932年から1934年吉川英治が、それまで大衆文学批評と言えるものが無かったという認識のもの、大衆文学研究誌『衆文』を発行笹本寅の『大衆作家列伝連載佐々木味津三直木三十五追悼号、夢野久作三角寛などの小説掲載された。また三田村鳶魚大衆文芸評判記』(1933)では、時代考証立場から当時人気作品厳しい批判加えられた。 1956年講談倶楽部受賞者などによる同人誌小説会議』が生まれ、これに伊藤桂一勧められ尾崎秀樹大衆文学論書き始めた尾崎続いて1961年に、武蔵野次郎らと大衆文学研究会設立し雑誌『大衆文学研究』を発行創刊号で、白井喬二エッセイ寄稿し大衆文学は「文学主権在民」をめざしてスタートし、「文学因習打破」が根本命題であると述べ司馬遼太郎は「土佐稲荷イノチそのものに眼をむけて文学重心をそこに鎮めてゆく」のが純文学、「そこから離れて、花をみる大衆条件あわせて書く」のが大衆文学であると書いた。 フランス大衆小説は、過去には下位文学(sous-littérature)、インフラ文学(infra-littérature)、マス文学(littérature de masse)などの名で呼ばれ1960年代以降には二次文学(paralittérature)、別類文学(autre-littérature)といった概念用いて体系化試みられた。1980年代以降大衆小説研究誌Le Tapis-franc』『ロカンボル(Le Rocanbole)』などで研究なされている。

※この「大衆文学研究」の解説は、「大衆小説」の解説の一部です。
「大衆文学研究」を含む「大衆小説」の記事については、「大衆小説」の概要を参照ください。

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