大津市長選挙に初当選
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2004年の大津市長選挙において、「決断と実行」「改革と継続」を掲げ、市役所の移転などを公約とした。目片は市議会最大会派の政新会の他、150以上の団体・企業の推薦を受けた。また、目片は総選挙直前に、民主党系の元議員が副理事を務める、NPO法人「市民協働」の副理事長に就任し、非自民層の支持も集める作戦に出た。目片は28,766票を獲得し、八幡和郎らを破り2004年1月26日に第22代大津市長に就任した。 目片は、一期目の最も印象残った施策を旧志賀町との合併としているが、当初は合併に消極的だった。旧志賀町では大型産業廃棄物焼却施設の建設が住民の反対運動なので問題となっており、合併は問題の解決後にすることを主張していた。しかし、2005年12月に合併と産廃施設の受け入れることを表明し、2006年3月25日に合併に調印した。目片は合併に伴って市民が23,000人増え、湖西道路が無料化されたことを自らの実績としている。 滋賀県で大きな議論となった南びわ湖駅の建設問題では、反対の立場をとっていた。2004年1月に東海道新幹線びわこ栗東駅設置促進協議会から脱退することを表明し、建設費の負担を否定し、「祝い金程度なら市の財政状況を踏まえた上で用意したい」と述べていた。目片は行財政改革を取り組む中で市が建設費を負担することが市民の理解を選れないと判断し、建設されても大津市民が利用する見込みがないことを主張した。新駅の凍結を掲げる嘉田知事に対しても建設費支出を拒否して支援をした。新駅は2007年に凍結され、目片は「市民主体の立場から本市独自の主張を貫くことができた」と主張している。 就任以来、老朽化した大津市役所を浜大津に移転し、市街地を活性化することを主張してきた。浜大津の移転予定地は県有地で、協力的な国松善次知事と協議を進めた。浜大津移転に反対する市民団体「市庁舎の移転先を考える市民の会」が応援した嘉田由紀子が、2006年に滋賀県知事に当選したが、目片は「新知事は冷静に判断されるはずだ」と語った。 建設が中止されている大戸川ダムの建設を主張している。嘉田知事がダム建設の凍結方針を示したことに対して、2006年8月2日に、大津市単独でも国に要望を出すことを示した。同月に国土交通省が、淀川水系河川整備計画の原案に「穴あきダム」の復活を盛り込んだことを歓迎した。 2005年8月2日の定例記者会見で、教科書問題についてあくまで個人の考えとして意見を述べた。目片は扶桑社の新しい歴史教科書を、「現実的に適した教科書」「選ばれてもおかしくない教科書」と評価した。これに対して全日本教職員組合が、目片や市教育委員会に発言の撤回を要請することを呼びかけた。 2007年3月に、市内で突然意識を失い、脳の血流障害の疑いがあるとして大津市民病院に入院した。同年5月に公務復帰し、医師の勧めで禁煙禁酒を誓ったが、まもなく庁舎内で煙草を吸う姿が目撃された。この報道後、目片は「ちょっとふかした程度」だと反論し、それ以後は煙草吸っていないと話したが、2010年時点で1日40本のたばこを吸っていた。 2008年の滋賀県知事選挙の候補にも名前が挙がったがこれを否定。出馬することはなかった。
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